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2005年05月31日

盛田隆二『サウダージ』(角川文庫)

盛田隆二『サウダージ』(角川文庫)盛田隆二『サウダージ』を読んだ。

初めて読んだけれど、随分と唐突な印象の文章を書く作家だ。文章の始まりも、終わりも、場面の転換も、回想と現在の繋ぎ目も、そのことごとくが唐突だ。無駄や遊びが極端に少ない。酷く説明を嫌うタイプの作家なのかもしれない。サービス精神旺盛すぎる作品に慣れている人には新鮮に写るか、物足りなく感じるかのどちらかだろう。

本当に大事なことは書かない。

それがこの作品最大の美点だと思う。理由を言葉にすると、途端に絵空事になってしまう。どんな言葉をあてても本質からかけ離れてしまう。そういうことは多分ある。いくらでも書けそうなネタがごろごしていても、そこはあえて掘り下げない。掘らずに育てる。掘らないからこそ、読者の心の中でそれはムクムクと育っていく。

とても不器用な人たちが不器用に求め、傷付け合いながら自分のあるべき姿を模索する。今となってはあんまり馬鹿馬鹿しくて、殆どタブーになった感のある「自分探し」。感触としてはそれに近い。

ただ、この著者はキャラクターに内面を語らせない。

一見淡々とした語りと、その印象に反した内容のいじましさが、とても良い効果をあげている。それらしい心情吐露を満載にして読者をカタルシスに導く手もあっただろう。そうあっておかしくない内容だ。けれども、あえてそうしない。その選択はこの場合よくあたっている。読者に押し付けではない、自分だけの印象を残すことに成功している。

読後に残るのは、不思議とそこに書かれなかった心象風景だ。

2005年05月30日

今井一『「憲法九条」国民投票』(集英社新書)

今井一『「憲法九条」国民投票』(集英社新書)今井一『「憲法九条」国民投票』を読んだ。

この問題に関して、気になりつつもちゃんと知る努力を怠ってきた自分に終止符を打つべく、とりあえず何の下調べもなく本屋で適当に選んだのがこの本だった。これが思わぬ拾い物。端的にいって資料的価値が高い。

この本を、これから投票日までの間にあなたがそれを為すための最初の「参考書」にして下さい。

…と「まえがき」にある。ぼくは買ってしまってからこの文を読んだのだけれど、確かによくできた参考書であり入門書になっていると思う。なんといっても、他人の言説に惜しげもなく多くの紙幅を費やしているところが素晴らしい。著者が幅広く収集した識者著名人たちの九条に関する多様な見解が、要約などの余計な手を入れず、およそ偏りなく大量に掲載されている。2003年の本ゆえ最新のデータとは言えないけれど、各陣営の考え方に関しては、ほぼ出揃っているんじゃないかと思う。

もちろん現憲法の成立過程や解釈の変更過程についても分かりやすく書かれている。その上でどう考えるべきかを問う。著者の主張も一応は書かれているものの、殆どの頁は読者が自分で判断するための材料として提供されている。

なんて良心的な本だろう。

これだけの資料を、これから勉強しようという人間が集めるとなると、かなりの時間と労力を要するはずだ。自分の見解よりも、読者に考えさせることを第一とした執筆態度が実に潔い。

軍備、戦争、安全保障。

その是非を考え、決断するのは他の誰でもない。ぼくたち一人一人だ。誰かに決めてもらうわけにはいかない。気になっていながら何をどう考えていいのかよく分からない。そんな人は、きっとぼくだけじゃないはずだ。

それなら、まずはこういった本を読んでみるのも手だと思う。

2005年05月24日

恩田陸『夜のピクニック』(新潮社)

恩田陸『夜のピクニック』(新潮社)恩田陸『夜のピクニック』を読んだ。

この上なく恩田陸らしい、高校生が集団で歩くだけという恐ろしく思い切った設定の作品だ。歩きながら交わされる会話やモノローグによって、主人公たちの過去や現在、そこから派生するそれぞれの葛藤が断片的に描かれていく。まさにそれだけの話。

思春期の自意識のありようを恩田陸は決して美化しない。プライドとコンプレックスに翻弄され、繕ったり綻んだりする心を誤魔化すことなく書いてしまう。著者が女性だからだろうか、特に少女の描写にその傾向は顕著だ。それに比べると少年はどこか硬質に描かれることが多いように思う。その辺りの感触は以前ジャニーズまみれでドラマ化された著作『ネバーランド』なんかに近いかもしれない。

恩田陸は自他共に認めるノスタルジーの作家だ。ただし、描かれるのはぼくたちが持つリアルな郷愁ではない。どちらかといえばそれは憧憬に近いものだと思う。懐かしい匂いと同時に、本当は持ち得なかった何か大切なものを感じさせてくれる。そして、自分にもそういう時代が、そういう思いがあったように思わせてくれる。

それこそが恩田マジックなのだろう。

だから、恩田陸の作品は気持ちいい。思春期にありがちなどろどろとした自意識や心の弱さを描きながらも、それらをノスタルジックな空気で包み込むことで読者に離れがたい郷愁を植えつけてしまう。いつまでもその世界に浸っていたいと思わせる。

これはもう職人技といっていい。

よくできたエンターテイメント作品ほど、クライマックスから終幕にかけて、ページをめくる手が速くなるものだ。字を順に追うのももどかしい。そんな気持ちになる。『夜のピクニック』ももちろん結末に向けて気がはやるような展開になっている。

にもかかわらず。

ページが残り少なくなってくると、読み進むのがもったいなく思えてくる。先が気になるのに、ページをめくる手が鈍る。ゆっくりと字を追いたくなる。

本当に稀少な作風だと思う。

2005年05月19日

白石一文『僕のなかの壊れていない部分』(光文社文庫)

白石一文『僕のなかの壊れていない部分』(光文社文庫)白石一文『僕のなかの壊れていない部分』を読んだ。

しんどい本だった。

これは一応小説の形をしてはいるけれど、殆ど思索のための方便でしかないように思う。生きるとはどういうことか。愛するとはどういうことか。一人称の「僕」が延々それらのことを考え続けるだけの小説といってもいいくらいだ。

「僕」はまったく気持ちのいいタイプの人間ではない。これに感情移入すると、激しく落ち込むこと請け合いだ。これほど幸せに縁遠いキャラクターも珍しい。年齢こそ29歳と大人だけれど、その弱さ、歪さは、碇シンジ君クラスといえる。自らを幸せから遠ざけることにおいて、天才的な能力を発揮するタイプだ。

読んでいて気が滅入ること夥しい。

思索が主となる作品の性格上、主人公の「僕」は地の文を含めれば、相当に饒舌だ。現実の人間の思考が必ずしも一貫性を持たないように、「僕」の主張も多分に恣意的で間歇的なところがある。その空回りっぷりは、饒舌がいかに虚しいものかを実証しているようでもある。

例えば、ある場面では「人間なんてみんな同じなのに」というようなことを考え、別の場面では「彼女は自分たちとは違う種類の人間だ」という考えに肯いてみせる。そもそも「僕」はその思考と行動にも多くの矛盾を抱えていて、読んでいて唐突な印象を受けるシーンが少なからずある。それは恐ろしく身勝手で、自他共に傷付ける以外なんの効力も持たない。

そこに納得のいく説明はない。

他者との関係を求めながら、自分を含め、深く関わろうとするあらゆる人間を、徹底的に傷付け続けずにいられない思考と行動。それだけが「僕」唯一の一貫性といえるのかもしれない。

文章の読み易さに比して、これほどエンターテイメントしていない小説も珍しい。つまらない本だという意味ではない。むしろ、かなり興味深い作風だと思う。ただ、読むときは少しの覚悟が必要だ。全く面白がれるようなものではない。読者が物語に望むような一切の安定を放棄して、ラスト、著者は読者を置き去りにしていく。カタルシスも何もない。

そこには漠とした不安と、際限のない思索だけが残されている。

2005年05月13日

森巣博『越境者たち』[全2巻](集英社文庫)

森巣博『越境者たち』[全2巻](集英社文庫)森巣博『越境者たち』を読んだ。

圧倒的だ。まさに唯一無二。そもそもこれを小説だと思って読むこと自体困難だ。殆ど著者の体験であろう壮絶な物語が、圧倒的なリアリティを持って描かれている。
文章はあまり巧いとは思わない。けれど、独特の文体に慣れればさほど読み難いものでもない。そんなことよりも、これだけの質量を持った物語になど、そうそうお目にかかれるものではない。その魅力は欠点を補って余りある。

森巣博という人は元来文筆の人ではない。博奕打ち。それも世界を股にかける筋金入りの博徒であるらしい。日本を離れ三十余年、オーストラリアを根城に世界中を転戦。かなり特殊な経歴の持ち主だ。とはいえ、好悪はあるにせよ、無邪気に開陳される人生哲学は決して突飛なものではない。実に真っ当だ。

賭場というのは極端で濃密な場所だ。伊達に「賭金」を「たま」と呼んでいるわけではない。多くの博徒がまさに命(たま)を賭けてその凄惨な人生を散らしていく。

人間はどこでも同じだった。

「たま」を張り合う極限の世界をその目で見、体験し、生き長らえてきた著者の言葉には説得力がある。その衒いのない人間観は決して悲観的なものではない。そして、もちろん奇麗事であるはずもない。

場違いな言葉だろうと自覚しつつ敢えて書く。

この小説はきっと著者一流の人間讃歌なんだと思う。

2005年05月12日

伊坂幸太郎『ラッシュライフ』(新潮文庫)

伊坂幸太郎『ラッシュライフ』(新潮文庫)伊坂幸太郎『ラッシュライフ』を読んだ。

著者の2作目。文庫化されていたので早速手に取った。やっぱり面白い。読む悦びに満ち満ちている。

形式としては前作に続いて今回も本格寄りのミステリだ。けれども、これを推理小説にカテゴライズするのはやっぱり難しい。十分に論理的だし、仕掛けは巧緻だ。それでも、この文体と発想はジャンル小説におさまりきるものではない。

群像劇。その趣向自体は特に珍しいものではない。ただ、読み進むうちに明らかになっていく構成の妙は、ミステリ作家としてのセンスが光っている。これだけ複雑な構成を混乱なく読ませ、すんなり納得させる腕はかなりのものだと思う。ストーリーテリングの才も百凡のものではない。

登場するキャラクターたちの生き様は、身につまされるものだったり、目を背けたくなるものだったりすることもある。そういった人々に対する著者の目線は悲観的でも同情的でもない。あるときは優しく、あるときは厳しい。誠実というのが一番近いように思う。巧緻な構成、斬新な発想、軽妙な文体、魅力的なキャラクター…なのに、地に足着いた人間模様がしっかりと展開している。

非凡だ。決して技巧や発想だけの作家ではない。

2005年05月10日

鷺沢萠『さいはての二人』(角川文庫)

鷺沢萠『さいはての二人』(角川文庫)鷺沢萠『さいはての二人』を読んだ。

ぼくは作家論的な話が苦手だ。いくら作品を読み込んだところで、そこから浮かび上がる作家像なんて多かれ少なかれ恣意的なものだと思うからだ。だから、昨年この人気作家が自殺したときも、特に追悼と銘打って平台に並べられた著作を手に取る気にはならなかった。意識して避けたわけではない。

そんなことよりも、どうして…という思いの方が強かった。

目の前の本を手に取るか否かは単なる巡り合わせでしかない。作品に触れる切っ掛けが著者の死だったとしても、それを非難するつもりはさらさらない。

今回読んだ角川文庫版の帯には「鷺沢萠最後の恋愛小説」とある。「恋愛」と「切ない」をセットにすることでどれほどの効果が得られるのかは知らないけれど、この小説集にこの謳い文句はないと思う。著者の作風を知っている人はまだいい。けれども、この帯に惹かれて初めて鷺沢作品に触れる読者を思うと、どうも罪作りな気がする。

はっきりいってこれは恋愛小説集なんかじゃない。

恋愛を扱っていないわけではないけれど、感触としては例えば浅田次郎の超ベストセラー『鉄道員(ぽっぽや)』なんかに近いと思う。それこそ解説にある北上次郎の言葉を借りれば「人情話」ということになるのだろう。恋愛小説なんて言われるよりはこちらの方がずっと納得できる。ちなみに、集英社文庫版『鉄道員(ぽっぽや)』の解説も北上次郎だったりする。

この本には表題作の他に2つの短編が収録されている。3編とも主人公はそれぞれに厳しい境遇に立たされていて、逃げてみたり足掻いてみたり結構みっともないこともする。そこには人の弱さが書かれている。けれども、みんな最後にはしっかり前を向いて歩き出す。ちゃんと希望が描かれている。3人ともある境遇の人から生きる力をもらうことになるのだけれど、その趣向は未読の人の楽しみを奪うことになるのでここでは伏せておく。

それにしても、こんな話が書ける人がどうして…と読んでみて再度思わずにはいられない。

2005年05月09日

香山リカ『<私>の愛国心』(ちくま新書)

books050509.jpg香山リカ『<私>の愛国心』を読んだ。

この本の美点は、何といっても分かりやすいことだと思う。説明のための事例が幅広く、比較的身近なせいだろう。その殆どがマスコミで大きく報じられたものだから、大抵の人は聞き覚えがあるはずだ。論旨が明快で、終始同じ主張を手を変え品を変え説明しているので、誰が読んでも著者の懸念は理解できると思う。

バラバラに見える出来事にある一定の視点を与え、原因をひとつに収斂していく手法は、何やら推理小説でも読んでいるような面白さがある。中には突きつけられた不可避の不安因子として「牛丼騒動」を挙げるなど少々牽強付会なところもあるけれど、概ね納得できる内容だ。シンパシーを覚えるかどうかは別として、見所の多い見解だと思う。それに、これが重要なのだけれど、読むことで考える切っ掛けになる。

タイトルに愛国心とあるけれど、特にナショナリズムについてだけ書かれた本ではない。むしろ、ナショナリズムに直接触れている箇所はそれほど多くない。どちらかといえば、今時のナショナリズムを含む様々な病的(と思われる)現象について、その原因を追究し、処方箋を書いてみようじゃないかという内容だ。

ここ数年の象徴的な出来事と、そこに関わる人々の奥底に潜む病理。そして、そこに表れた歪みが国際社会に落とす暗い影。それらをエアクッションの気泡をひとつひとつ潰すように丹念に証明していく。その論旨が明快であればあるほど読む方は平常心でいられなくなる。かなり怖い。自分に引き寄せ、覚悟し、身の処し方を考えずにはいられない。

こういう本をいざという時のために読んでおくことは無駄ではないと思う。心の準備が有効な場合もあるはずだ。

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管理人について

名前:りりこ [ lylyco ]

大阪市内で働く食生活の貧しい会社員です。他人の気持ちがわかりません。思いやりが足りぬとよくいわれます。そういう人のようです。

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