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2005年01月30日

桐野夏生『柔らかな頬』[全2巻](文春文庫)

桐野夏生『柔らかな頬』[全2巻](文春文庫)桐野夏生『柔らかな頬』を読んだ。

ミステリ的な状況設定とテンポの良い文章のお陰でリーダビリティは高い。かなり重い内容にも関わらず、一度読み始めたら最後ページを繰る手を止められない。直木賞の冠は伊達じゃない。

それにしても、主人公カスミのキャラは強烈だ。ぼくが男だからとかそういうところを超えて感情移入は本当にできなかった。というよりも、安易な感情移入など端から拒否しているように思える。ここまで強固な自我を与えられた主人公というのも珍しい。

極端ないい方をすれば、これはカスミが関わる男を次々と消費していく物語だ。拾ってくれた男と結婚し、金持ちの男と不倫し、似非宗教家に救いを求め、死病に犯された男の最後を看取る。確かに事件は起こる。けれども、ミステリ的な仕掛けなんて何もない。事件とてカスミの内面を描くための一要素に過ぎない。読む方も事件の真相なんてどうでもよくなってしまう。そして、事件主体の話ではないとすぐに判るようになってもいる。

事件の決着という安定した結末を放棄して、この物語はどう幕を閉じるのか。読む方の興味はそこに集約されていく。そして、作者が提出した回答を特に酷いとは思わない。けれども、そこまで読んできたすべてに報いるラストだとも思えなかった。

最後の章はなくても良かったんじゃないかとさえ思う。

誤解を恐れずに書くなら、この話に出てくる登場人物は良くも悪くもステレオタイプで漫画的だ。それでも、それぞれに割かれた描写の分、厚みを持ってもいた。ギリギリのリアリティを持っていたといい換えてもいい。ところがラストシーンで描かれるそれには、それまでの重みを支えるだけの厚みがない。

ああ、結局それなのか。

あの短い描写ではそれ以上好意的な読みはできない。全体として面白いだけに、この結びだけはどうしても残念に思えてしまう。もちろん、これがあって少しは落ち着けると思う人もいるのかもしれない。ただ、ぼく好みではなかったというだけのことだ。

ちなみにこの作品、映像化されてるらしい。内面描写が眼目の小説を映像化。ずいぶんとハードルが高いように思う。いったいどんなできだったんだろう。観た人がいたら感想を聞いてみたい気もする。


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桐野夏生『柔らかな頬〈上〉』(文春文庫)
桐野夏生『柔らかな頬〈下〉』(文春文庫)

2005年01月29日

半村良『完本 妖星伝』[全3巻](祥伝社文庫)

半村良『完本 妖星伝』[全3巻](祥伝社文庫)半村良『完本 妖星伝』を読んだ。

ぼくが手にしたのは祥伝社文庫から全3巻で出ている版である。その3冊ともが文庫としてはかなりの大部。分厚いことでは人後に落ちない京極夏彦の著作にも負けず劣らずといったところ。正直にいえば、もう少し細かく分冊して欲しかったとも思う。というのも、妖星伝は全部で7部構成になっているからだ。1部1冊全7巻だったらこれほど手が疲れることもなかったはずだ。

実をいうと、伝奇小説というものをこれまで殆ど読んでこなかった。それらしい作品といえば、高橋克彦『竜の柩』『霊の柩』くらい。山田風太郎の忍法帖シリーズなどはこっちの仲間と見て良いものかどうか。とにかく、その程度のジャンル認識だということだ。けれども、これらの作品と妖星伝はとても相性がいい。親類と呼びたいくらいだ。

表面的なことを言えば、まさに『竜の柩』と忍法帖を混ぜたような道具立てで、しっかり娯楽小説をやりながら善悪貴賎といった既成の価値観に揺さぶりをかける。その手並みは見事。また、著者自身の自問自答がキャラクターたちに色濃く反映しているように見えるあたりなんかは、平井和正『幻魔大戦』に近い印象も受ける。

荒唐無稽と質実剛健を同居させるような無茶で切実な語り。読む者の想像など彼方に置き去りにするようなめくるめく展開。そして驚愕のの完結篇。この完結には賛否あって当然だと思う。それまで伝奇の手法で語られてきたSF的宇宙観が突如剥き出しに開陳される。雑誌掲載を諦めてまでこの形に拘った完結篇だ。刮目する他ない。賛否がある。つまりは看過しがたいということだ。これだけ強烈な内容なら、好き嫌いはあって当然だと思う。

ただし、これだけは間違いない。

そこには読書の愉しみがぎっしりと詰まっている。

2005年01月22日

佐藤亜紀『天使』(文春文庫)

佐藤亜紀『天使』(文春文庫)佐藤亜紀『天使』を読んだ。

第一次大戦前夜の欧州を舞台に、悩めるサイキック美少年(青年)が活躍するという、ある種の嗜好を持った人たちにはたまらない本だ。内容も語り口もデコラティブで、翻訳文のようないい回しや大仰といえなくもない比喩表現が、かえってこの作品を文学的にしているのだと思う。あとはそれが肌に合うか合わないかの問題だ。

ぼくは美に疎い。けれども、過剰なものは好きだ。

内容と文体の関係についてなんて難しいことを考えながら読むわけではないけれど、その蜜月を感じながら読むのは心地好い。文学的だとか芸術的だとかいうのは歴史の問題だから、ぼくには分からない。感想をいえば、ぼくには少し文体の片想いに見えた。

語りたいことだけを語っているかのような説明的記述の少なさは読者の知識や想像力を試すことになる。お手軽なファンタジーノベルや欲望を満たすだけの耽美小説だと思って読むと頁がなかなか繰れないかもしれない。解り易さを求められる記述ではないからだ。能動的な読みができるかどうかがこの作品を愉しめるかどうかの分水嶺になるのだろうと思う。

超能力、耽美、美少年といった懐かしき"Night Head"的モチーフが好きな人は、ひとまず手にとっていいと思う。そうでない人でも、権謀術数渦巻く戦争前夜の欧州を舞台にした一種の偽史モノとして愉しむことは十分にできるはずだ。というのも、どこか、大塚英志×森美夏の『北神伝綺』『木島日記』に近い感触もあるからだ。

ただし、文春文庫版の解説は読まない方がいい。ぼくは本編の前に解説はあまり読まない。どうしても先入観を避けられないからだ。前もって読まなくて本当に良かった。この本の解説はある種の人たちにはとても効果的かもしれない。けれども、そうでない人たちにはむしろマイナスでしかないと思う。

もし読んでいたら買わなかったかもしれない。

2005年01月14日

菅浩江『永遠の森 博物館惑星』(ハヤカワ文庫)

菅浩江『永遠の森 博物館惑星』(ハヤカワ文庫)菅浩江『永遠の森 博物館惑星』を読んだ。

9編の連作という形を取っていて、ジャンルとしては一応SFということになる。ただし、殺人を扱わないミステリとして読んでも全く問題はない。というよりも、ジャンルの好き嫌い、得手不得手はこの本に限っては、殆ど気にする必要はないと思う。とにかく舞台設定と人物造形がとてもよくできていて、本を閉じてもその世界がずっと続いていく姿を想像させる。

主人公たちが暮らすのは宇宙に浮かぶ小惑星アフロディーテ。オーストラリア大陸ほどの表面積全てが博物館の施設というとんでもない場所だ。そこで起こる様々な美に纏わる問題を描きながら、それに関わる人々の心の襞を丁寧に拾い上げていく。その手腕は見事で、そこでは全ての登場人物が実にリアルに存在している。

科学、芸術、美術を扱いながら、衒学趣味がさほど感じられないのもいい。必要以上に薀蓄を傾けるようなそぶりはなく、むしろ直接主題に関わらない部分では説明を抑えてさえいるように感じる。物語中でも重要な位置を占める人間の「情動」。これこそが、この物語自体の主題なのだと思う。

そもそもペダントリーや薀蓄というのは、普通は疎んじられこそすれ好かれるものではないはずだ。衒学という言葉は文字通り「学」を「衒う」ことで、「学」は「学識」、「衒う」は「ひけらかす」というほどの意味だ。どう見ても褒め言葉ではない。「トリビアの泉」やくりぃむしちゅーの人気で何やら一時的にプラスイメージになってしまったような感もあるけれど、あれはテレビだから面白いわけで、普段の会話で得意の薀蓄を滔々と語られても辟易するだけだ。

話が逸れた。

少なくともこの本は、このジャンル、この題材にしてペダンティックに陥る愚を犯してない…ということがいいたかっただけだ。さらには連作として全体の構成もよく練られている。各話に後の話に通じる伏線を張る。よくある手法だけれど、やはり後になって効いてくる描写というのは読んでいて気持ちがいい。日本推理作家協会賞を受賞しているのも肯ける。

SF的な世界観から、ミステリ的な展開、少女漫画やライトノベル的なモチーフに到るまで、いろいろな要素を本当にバランスよく仕上げていると思う。

ぜひ番外篇が収録されている『五人姉妹』も読んでみようと思う。

2005年01月10日

あさのあつこ『バッテリー 3』(角川文庫)

あさのあつこ『バッテリー 3』(角川文庫)あさのあつこ『バッテリー 3』を読んだ。

少年野球を題材にした小説で、タイトルが示す通りシリーズ作品の3作目だ。単行本としては教育画劇という出版社から全部で6冊出ている。ぼくが読んだのは角川文庫版で2004年末ようやくこの3冊目が出た。

井上雄彦の漫画『スラムダンク』を読んで、バスケットに興味を持った人は多いと思う。スポ根やビルドゥングスロマンとは全く感触の異なる面白さがそこにはあった。あれは一見バスケット初心者桜木の成長物語に見えて、実のところ、桜木、流川をはじめとする類稀な才能を持った「天才」たちの物語だった。もちろん、彼らはただ超人として描かれるわけではない。努力を惜しまず、時に弱さを曝け出し葛藤する。その上で描かれる圧倒的な才能にぼくたちは期待し、感動する。

『バッテリー』は原田巧という「天才」の物語だ。そして、やっぱりスポ根やビルドゥングスロマンとは程遠い。巧はピッチャーとして図抜けた才能を持っている。そして、中学生らしい可愛らしさや爽やかさとは無縁のキャラクターだ。1作目を読んだとき、これだけ強靭で扱い難い少年を、ここまで魅力的に描けるものなのかと瞠目した。

そして、巧とバッテリーを組むキャッチャー、永倉豪。誰もが持て余さざるを得ない巧という鮮烈な個性を、彼はありのまま全身で受け止めて見せる。誰にも真似できないその懐の深さ、真摯さに心を打たれる。

特異ともいえるこうした少年たちを、著者は決して絵空事にせずリアルに活写してみせる。周囲の大人や同級生たちの描かれ方にもそれは当てはまる。圧倒的な才能を前に、彼らはそれをどう受け入れるか、決断を迫られる。反発や戸惑いもある。きれい事ではない。

それでも、この物語は美しいと思う。

単行本の出版社名からも見当がつくように、これは児童文学という土壌で生まれた作品だ。その点をもって手に取るのを躊躇するのではあまりにもったいない。

著者は子供たちの目をただの一片も過小評価していない。

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管理人について

名前:りりこ [ lylyco ]

大阪市内で働く食生活の貧しい会社員です。他人の気持ちがわかりません。思いやりが足りぬとよくいわれます。そういう人のようです。

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