山崎ナオコーラ『人のセックスを笑うな』(河出文庫)

山崎ナオコーラ『人のセックスを笑うな』
を読んだ。
この作品は第41回文藝賞を獲っている。高橋源一郎の解説に、選考会での田中康夫との会話が引かれている。「なにがいいって、要するにセンスだよね」…どちらの台詞かは判然としない。いずれにしろ、お互い異論はなかったようだから、ふたりともそう思っていたんだろう。
著者のセンスというやつがとにかく顕著なのは、なんといってもこのタイトルである。このタイトルと著者名を目にして、何も感じないでいる方が難しい。ただし、それが必ずしもプラスに働くとは限らない。実をいうと、ぼくはゲンナリしてしまったクチだ。
女流で、セックスがどうだとかいう話で、言葉の組み合わせが目新しくて、サクっと読みやすい文体で…云々。本を開きもせず、強烈な先入観を持った。たとえば、山田詠美みたいなものを連想して、そういうのはもういいかな、という気持ちになっていた。
それを手に取ったのは、文庫がたまたま平置きされていたことと、ちょっと軽い本を読みたいような気分とが重なったせいだ。書店で数頁追ってみると、適度に狙ったような文章が意外に厭味でもなかった。あまり腹にくる小説よりもこのくらいがいい、そう思った。
タイトルの印象に比して、中身はずいぶんと繊細だった。
語り古された恋愛についてのいくつかのことを、けれども、まったく新しい言葉で語り直している。意外ではない色々なことが、まったく意外な言葉で綴られている。センスというのは、つまりこういうことかと、読み進む内に分かったような気になった。
タイトルは主人公が神に向けた祈りの言葉からとられている。これには意表をつかれた。まるで内向きな小説なのである。19歳の主人公が39歳の人妻と不倫する。そんな設定に相応しいだけの湿気も、情念も、ここにはない。要するに性的な匂いがない。
不倫を描き、セックスを描きながら、そこに性の存在は希薄である。主人公の磯貝に男としてのシンボリックな性質はなく、相手のユリに女性らしさや母性のようなものは感じられない。性的に淡白だというのではない。そもそもジェンダーもセックスも存在しないように見える。
その感性に惹かれた。
だから、併録されている掌編「虫歯と優しさ」には戸惑わされた。トランスジェンダーを扱うなんて、退行じゃないかと思ってしまったのである。その分、この掌編は分かり易い。物語らしい物語になっているといってもいい。ただ、表題作ほどのセンスは感じられない。
言葉に対すると感性と、世界に対する感受性。
表題作はそれらがふたつながらに成った奇跡の短篇なのかもしれない。





