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2007年08月17日

原宏一『床下仙人』(祥伝社文庫)

原宏一『床下仙人』(祥伝社文庫)原宏一『床下仙人』を読んだ。

この文庫本、えらく宣伝に力が入っている。つい釣られてしまった。

この本の魅力は一読伝わり難いように思う。けれども、じわりじわりと効いてくる。スロースターターというのか、話の序盤がとても堅実なのである。この丁寧に積み上げられる序盤は伏線である。卓袱台を効果的に返すにはまず卓袱台を極力端正にセットせねばならない。主菜、副菜、汁椀、茶碗、湯呑に香の物が見事に並んでこその卓袱台返しである。

この著者、とにかく日常を華麗に捻じ曲げる手腕に秀でている。たとえば表題作に見る代替可能な家族像など、正攻法で書いてもそれなりの人間ドラマだろう。なのにやたらアクロバティックな表現をぶつけてくる。不条理劇を装うように奇妙なユーモアで味付けてみせる。これが癖になる。けれども、誤解を恐れずにいえば、テーマ自体は非常に凡庸なのである。

家族や夫婦間に持ち上がるありふれた問題。「仕事と家族どっちが大事なの?」なんて陳腐な台詞が端的に表すような、どうしようもないディスコミュニケーション。忙しく働く人間がどこかでぶち当たるこの解消し難い軋轢をあえて丹念に描く。なんとも身につまされるというか、同情を禁じ得ないというか、とにかくこの辺りの描写がリアルである。

これは究極には人はパンのみに生きるにあらずということになるのだろうけれど、目先のパンをスルーして踏み出せる人間はそう多くないだろう。だから、本書に多く描かれる仕事と人との関係に纏わる物語は、どれもがファンタジックで滑稽な仕掛けの中にありながらどこまでも身近な情感に満ちている。そしてブレイクスルーは良い方にも悪い方にも起こり得る。

やたら時代の流れが早いせいで、すでに古く感じる部分もあるにはある。けれど、今も、そして恐らくはまだしばらくの間、生きることと働くことのバランスが取り辛い社会であることに変わりはないだろう。ならば現代社会の生き辛さを描いた寓話作品という分かりやすいレッテルを貼ることもできよう。けれども、作品の価値は何を描くかではなくどう描くかにある。

たとえば、アウトソーシングの極北を描いた「派遣社長」は、効率化が齎す恐ろしく夢のない未来を描き出す。卓見というと持ち上げすぎかもしれないけれど、なかなかに考えさせられる大風呂敷が広げられている。奇想と法螺の規模の点からいっても、表題作とこの「派遣社員」の面白さは格別である。もちろん、他がつまらないという意味では全然ない。

謎の転校生ならぬ転勤オヤジの正体に迫る「てんぷら社員」は、ネタとしては小粒ながらキャラクターの良さとストーリーテリングの巧さでミステリ的な興味を刺激する佳品。卓袱台返しばかりじゃないところを見せてくれる。「戦争管理組合」は少々テーマありきな印象が強い。それでも、極端に走りながら主張が一辺倒にならないバランス感覚が好もしい。

最後の「シューシャイン・ギャング」は、このラインナップの中にあって少々異色かもしれない。もちろんすべてが巧くいくような御伽噺ではないけれど、多分にロマンティックな一篇。星新一のようなシニシズムよりは心温まるヒューマニズムに近しい著者の性向がもっとも端的に表れている。わずかでも読後に希望を持たせるのが著者の流儀なのかもしれない。

発想の幅は広いし読みやすい、腕っ扱きの短編作家といえそうだ。

宣伝に釣られて正解だった。

2007年08月16日

高野秀行『幻獣ムベンベを追え』(集英社文庫)

高野秀行『幻獣ムベンベを追え』(集英社文庫)高野秀行『幻獣ムベンベを追え』(集英社文庫)を読んだ。

男のロマンというのは恰好の悪いものである。危険、汚い、汗臭い。世の女性たちをドン引きさせるに十分な内容である。早稲田大学探検部の秘境遠征実録ともいうべき本書を読むと、川口浩探検隊を地で行くとどうなるかがよく分かる。内容は決して荒唐無稽ではない。目標が馬鹿なだけである。そのための労力の膨大さを思えば普通はやらない。否、できない。

大学生といえば最も分別臭くなっていい頃だろう。なのに、早稲田なんて賢い大学に入っておきながら探検部に所属する。それだけでもいい加減おかしい。その上、コンゴくんだりまで行って地元に伝わる幻の巨大生物を探すとなれば、とても正気の沙汰とは思えない。要するに、本書が面白いのは探検記の内容なんかではない。この探検部員たちの生態なのである。

まず驚かされるのは、むろんUMAを実地に探しに行こうという立案そのものなのだけれど、そこから先の行動力、なかんずく著者らの交渉力がもの凄い。やっていることは馬鹿なのに、そのために講じる手段は実に大人なのである。資金、物資調達のため、探検計画をネタにスポンサーを探す。これで高価な撮影機材やキャンプ用品などをしっかり確保するのである。

さらに、共産圏であるコンゴの聖地に入るための人的な道をつけることも重要だ。そのため著者は下見遠征にでかけ、ちゃんと有力な人脈を得て戻ってくるのである。実際の遠征時にも、地元民らとの折衝ごとは絶えない。しまいには片言ながら地元の言葉まで話しだす。圧倒的なコミュニケーションの断絶などものともしない人間力の強さには感嘆せざるを得ない。

地元政府と僻村との間の緊張関係や、そこから派生する現地人同志の軋轢。ほとんど理不尽ともいうべき現地僻村の地元ルール。実質的な探検行為の外にこそ本当の難事は山積みである。これを乗り越えるのは生半なことではない。日本の常識など通用しない異文化の極みで、曲がりなりにも初期の計画を遂行してみせただけでも驚嘆すべき対応能力というべきだろう。

もちろん、24時間監視を断行する幻獣探しの顛末も興味深いし、過酷な環境下で疲弊していく隊員たち、といういかにも秘境探検らしいエピソードもスリリングだ。それも死人が出ていてもおかしくないくらいの話である。けれども、やはり見るべきは展開される人間模様であり、当事者たちにとってのこの探検の意味だろう。何故そこまで。難しい問題である。

情熱やロマンは机上のものでしかない。

この探検が彼らのその後に影響を与えなかったはずはない。けれども、それは物語のような分かりやすい形での影響ではない。とても精妙で多元的なものだろう。何というなら、朝、米食をパン食に変えるだけでも、その人のその後に何らかの影響はある。その意味では、探検行為が与えた人生への影響をロマンティックに捉えること自体ナンセンスなのかもしれない。

巻末、遠征隊員たちのその後が簡単に紹介されている。キレイな青春の1ページとして表層的な意味付けがされることはない。これが大変に生々しい。そして、これがこの本の美点でもある。そこには隊員同士の気持ちの行き違いや、残り続ける亀裂のようなものまでが開示されている。著者から見た探検とはまた別の、それぞれの物語がその向こう側に垣間見える。

簡単に意味を求めることの不毛を教えてくれる良書である。

2007年08月10日

古川日出男『アラビアの夜の種族』[全3巻](角川文庫)

古川日出男『アラビアの夜の種族』[全3巻](角川文庫)古川日出男『アラビアの夜の種族』を読んだ。

奔放な感性と緻密な企みが見事に融合している。この面白さは、単にエピソードの集積としての物語の面白さに収まらない。物語はフィクションの枠をはみ出さんと冒頭からその牙を剥いている。もちろん、こうした額縁を持った小説は古くから多くの作家によって書かれてきた。そうした系譜に連ねても、この念入りな仕込みは特筆に価するように思う。

著者は、訳者として本書のまえがきに登場する。『アラビアの夜の種族』は作者不詳の物語の英訳版を底本に、著者が邦訳した書物として紹介されるのである。そこでは物語の成り立ち、英訳版との出会いなどがまことしやかに語られ、メタフィクショナルな没入を促している。これが多重構造をなす物語の入り口となる。同時に本書の企みを予言してもいる。

本編は、さらに2層の物語が併走する。ベースとなるのはナポレオンのエジプト侵攻をエジプト側から描く一種の「歴史」物語。この「歴史」物語の中で活躍するのがアイユーブなる奴隷階級の青年だ。主人に絶大な信頼を得ている聡明で美しい筆頭奴隷アイユーブは、現代兵器を擁した圧倒的に強大なナポレオン軍の侵攻を止めるための秘策を実行する。

それが読者を破滅に導く書物の執筆というトンデモな秘策なのである。

実はここでアイユーブは主人を騙している。彼は『災いの書』の伝説を話して聞かせ、ついにそれを見付けることに成功したという。そして、今まさにフランス語に翻訳しているところだと説明するのである。ところが、そんな書物は実在しない。要するに翻訳は嘘なのである。ならば、まえがきの翻訳も嘘だと想像することは難しくない。なんと巧妙な。

さて、アイユーブが実際に見付けたのは伝説の書物などではなく、伝説の夜の語り部である。そして、入れ子の2層目が語り部ズームルッドが語る物語ということになる。ズームルッドの語りが当代随一の書家によって書き取られ、今まさに創られる『災いの書』となるのである。これが面白すぎて戦争を止めてしまうほどの物語だというのだから凄い。

この2層目こそが物語としての主役である。

これだけ大風呂敷を広げておいてつまらなかったら顰蹙もいいところである。古川日出男という作家はつくづく強心臓だと感嘆せざるを得ない。そしてもちろん、面白い。そこで語られるのは千年の時を越える剣と魔法の物語である。醜怪にして邪悪な大魔術師アーダムと蛇神ジンニーアの物語。この孤独な主人公アーダムの魅力を説明するのは難しい。

彼は王の子として生まれながら、そのあまりに醜悪な面貌故にとことん疎んじられ、愛を知らないまま魔道に堕ちる。そして、初めて愛した相手がこれまた邪悪で淫蕩な蛇神ジンニーアだったという、どこにも非の打ち所のないトラジェディック・ヒーローである。当然のように彼は裏切られ、果てしない恨みを呑んで千年の眠りに就く。

ここでさらに2人の主人公が物語に加わる。ふたりの孤児、ファラーとサフィアーンである。アルビノのファラーは魔術師の一族「左利き族」の森に育ち、王座を簒奪された第4代サブル王の嫡男サフィアーンは出自を知らぬままいかさま師集団の一員として育てられる。ファラーは悲運の中で邪の衣を纏い、サフィアーンは俗の中にあって聖性を失わない。

それぞれに個性的な2人と復活したアーダム。3人の恐ろしく立ったキャラクターたちが一堂に会する。それを思うだけでページを繰る手が止められない。魔術的地下迷宮、阿房宮を描く奔放な筆致はほとんど常軌を逸している。仕掛け云々を忘れて読んでも十分以上に面白い。否、忘れてしまうほどに面白いというべきか。

そして、著者の企みはこの入れ子構造の最下層にもしっかりと及んでいる。予定調和のごとく、第1層と第2層の境界は破られる。ことここに到って、このあまりに荒唐無稽な物語は単なるフィクションの枠を超えて現実世界をも物語化してしまう。境界の崩壊は額縁の崩壊を意味し、物語は現実に漏れ出す。或いは、現実の読者は物語の中に取り込まれてしまう。

物語は語られ、受け継がれ、拡散する。

語られたのは世界が孕む大きな物語のごく一部である。物語は新しい語り部に受け継がれ、更新される。そのとき、聞き手であり読み手である読者がその物語の登場人物でないという保証はない。そう思わせるだけの質と量を、この物語は持っている。この構成力と語りの力は瞠目に値する。「物語」の力を最大化する試みはかなりの域に達している。

百凡のメタフィクションにはない圧倒的な力を感じる作品だった。


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古川日出男『アラビアの夜の種族(2)』(角川文庫)
古川日出男『アラビアの夜の種族(3)』(角川文庫)

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名前:りりこ [ lylyco ]

大阪市内で働く食生活の貧しい会社員です。他人の気持ちがわかりません。思いやりが足りぬとよくいわれます。そういう人のようです。

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