高野秀行『幻獣ムベンベを追え』(集英社文庫)

高野秀行『幻獣ムベンベを追え』(集英社文庫)高野秀行『幻獣ムベンベを追え』(集英社文庫)を読んだ。

男のロマンというのは恰好の悪いものである。危険、汚い、汗臭い。世の女性たちをドン引きさせるに十分な内容である。早稲田大学探検部の秘境遠征実録ともいうべき本書を読むと、川口浩探検隊を地で行くとどうなるかがよく分かる。内容は決して荒唐無稽ではない。目標が馬鹿なだけである。そのための労力の膨大さを思えば普通はやらない。否、できない。

大学生といえば最も分別臭くなっていい頃だろう。なのに、早稲田なんて賢い大学に入っておきながら探検部に所属する。それだけでもいい加減おかしい。その上、コンゴくんだりまで行って地元に伝わる幻の巨大生物を探すとなれば、とても正気の沙汰とは思えない。要するに、本書が面白いのは探検記の内容なんかではない。この探検部員たちの生態なのである。

まず驚かされるのは、むろんUMAを実地に探しに行こうという立案そのものなのだけれど、そこから先の行動力、なかんずく著者らの交渉力がもの凄い。やっていることは馬鹿なのに、そのために講じる手段は実に大人なのである。資金、物資調達のため、探検計画をネタにスポンサーを探す。これで高価な撮影機材やキャンプ用品などをしっかり確保するのである。

さらに、共産圏であるコンゴの聖地に入るための人的な道をつけることも重要だ。そのため著者は下見遠征にでかけ、ちゃんと有力な人脈を得て戻ってくるのである。実際の遠征時にも、地元民らとの折衝ごとは絶えない。しまいには片言ながら地元の言葉まで話しだす。圧倒的なコミュニケーションの断絶などものともしない人間力の強さには感嘆せざるを得ない。

地元政府と僻村との間の緊張関係や、そこから派生する現地人同志の軋轢。ほとんど理不尽ともいうべき現地僻村の地元ルール。実質的な探検行為の外にこそ本当の難事は山積みである。これを乗り越えるのは生半なことではない。日本の常識など通用しない異文化の極みで、曲がりなりにも初期の計画を遂行してみせただけでも驚嘆すべき対応能力というべきだろう。

もちろん、24時間監視を断行する幻獣探しの顛末も興味深いし、過酷な環境下で疲弊していく隊員たち、といういかにも秘境探検らしいエピソードもスリリングだ。それも死人が出ていてもおかしくないくらいの話である。けれども、やはり見るべきは展開される人間模様であり、当事者たちにとってのこの探検の意味だろう。何故そこまで。難しい問題である。

情熱やロマンは机上のものでしかない。

この探検が彼らのその後に影響を与えなかったはずはない。けれども、それは物語のような分かりやすい形での影響ではない。とても精妙で多元的なものだろう。何というなら、朝、米食をパン食に変えるだけでも、その人のその後に何らかの影響はある。その意味では、探検行為が与えた人生への影響をロマンティックに捉えること自体ナンセンスなのかもしれない。

巻末、遠征隊員たちのその後が簡単に紹介されている。キレイな青春の1ページとして表層的な意味付けがされることはない。これが大変に生々しい。そして、これがこの本の美点でもある。そこには隊員同士の気持ちの行き違いや、残り続ける亀裂のようなものまでが開示されている。著者から見た探検とはまた別の、それぞれの物語がその向こう側に垣間見える。

簡単に意味を求めることの不毛を教えてくれる良書である。

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