原宏一『床下仙人』(祥伝社文庫)
原宏一『床下仙人』を読んだ。
この文庫本、えらく宣伝に力が入っている。つい釣られてしまった。
この本の魅力は一読伝わり難いように思う。けれども、じわりじわりと効いてくる。スロースターターというのか、話の序盤がとても堅実なのである。この丁寧に積み上げられる序盤は伏線である。卓袱台を効果的に返すにはまず卓袱台を極力端正にセットせねばならない。主菜、副菜、汁椀、茶碗、湯呑に香の物が見事に並んでこその卓袱台返しである。
この著者、とにかく日常を華麗に捻じ曲げる手腕に秀でている。たとえば表題作に見る代替可能な家族像など、正攻法で書いてもそれなりの人間ドラマだろう。なのにやたらアクロバティックな表現をぶつけてくる。不条理劇を装うように奇妙なユーモアで味付けてみせる。これが癖になる。けれども、誤解を恐れずにいえば、テーマ自体は非常に凡庸なのである。
家族や夫婦間に持ち上がるありふれた問題。「仕事と家族どっちが大事なの?」なんて陳腐な台詞が端的に表すような、どうしようもないディスコミュニケーション。忙しく働く人間がどこかでぶち当たるこの解消し難い軋轢をあえて丹念に描く。なんとも身につまされるというか、同情を禁じ得ないというか、とにかくこの辺りの描写がリアルである。
これは究極には人はパンのみに生きるにあらずということになるのだろうけれど、目先のパンをスルーして踏み出せる人間はそう多くないだろう。だから、本書に多く描かれる仕事と人との関係に纏わる物語は、どれもがファンタジックで滑稽な仕掛けの中にありながらどこまでも身近な情感に満ちている。そしてブレイクスルーは良い方にも悪い方にも起こり得る。
やたら時代の流れが早いせいで、すでに古く感じる部分もあるにはある。けれど、今も、そして恐らくはまだしばらくの間、生きることと働くことのバランスが取り辛い社会であることに変わりはないだろう。ならば現代社会の生き辛さを描いた寓話作品という分かりやすいレッテルを貼ることもできよう。けれども、作品の価値は何を描くかではなくどう描くかにある。
たとえば、アウトソーシングの極北を描いた「派遣社長」は、効率化が齎す恐ろしく夢のない未来を描き出す。卓見というと持ち上げすぎかもしれないけれど、なかなかに考えさせられる大風呂敷が広げられている。奇想と法螺の規模の点からいっても、表題作とこの「派遣社員」の面白さは格別である。もちろん、他がつまらないという意味では全然ない。
謎の転校生ならぬ転勤オヤジの正体に迫る「てんぷら社員」は、ネタとしては小粒ながらキャラクターの良さとストーリーテリングの巧さでミステリ的な興味を刺激する佳品。卓袱台返しばかりじゃないところを見せてくれる。「戦争管理組合」は少々テーマありきな印象が強い。それでも、極端に走りながら主張が一辺倒にならないバランス感覚が好もしい。
最後の「シューシャイン・ギャング」は、このラインナップの中にあって少々異色かもしれない。もちろんすべてが巧くいくような御伽噺ではないけれど、多分にロマンティックな一篇。星新一のようなシニシズムよりは心温まるヒューマニズムに近しい著者の性向がもっとも端的に表れている。わずかでも読後に希望を持たせるのが著者の流儀なのかもしれない。
発想の幅は広いし読みやすい、腕っ扱きの短編作家といえそうだ。
宣伝に釣られて正解だった。
posted in 07.08.17 Fri
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