伊坂幸太郎『チルドレン』(講談社文庫)

books070527.jpg伊坂幸太郎『チルドレン』を読んだ。

単行本出版時、直木賞候補になった作品だ。結局獲ったのは奥田英朗『空中ブランコ』と熊谷達也『邂逅の森』だった。以後、同賞の常連候補になるも、いまだ受賞はしていない。ちなみに、本屋大賞では5位という微妙な位置にランクインしていた。傾向からいうと大賞でもおかしくなかったように思う。同年の大賞は恩田陸『夜のピクニック』だった。

斯様に賞レースでは次点に甘んじる傾向にあるようだけれど、読んでみると思ったよりずっとよくできている。多少いい話すぎる嫌いはあるものの、ミステリ的な趣向も効いていて一気に読まされる。作者曰く短篇のふりをした長篇なのだそうだけれど、その巧妙さはまさに筋金入り。バラで読むより、収録順に続けて読んだ方が何倍も面白い。

特に、時系列の並び替えは相当に意図的で、収録順に続けて読むと最大の効果を得られるように配置されている。その意味では確かに長篇の章立てに近い感覚といえる。思えば大上段の推理モノを書く作家ではないけれど、いつもこうしたミステリ風の仕掛けがモノをいう作風だ。この辺りが映像化作品の評判が悪い原因のひとつかもしれない。

だいたい、この人の小説の魅力は、大部分をその文章表現に負っている。もちろん、ストーリーもテーマもキャラクターも見るべきところはたくさんあるわけだけれど、ストーリー性だとか、問題意識だとかいうものだけを抽出して愉しめるタイプの作家ではない。映像化作品がまるで別物になるのはあまりにも当然だ。何しろ文体は絵にならない。

この小説は他の伊坂作品に比べると、意外なくらいに状況がノーマルだ。あり得ないものや際立って不思議な人が出てこない。そうしたファンタジーに頼らなくとも、伊坂節はいささかも衰えないことを証明している。また、語りにほとんど陰がない。元来それほど暗部に寄った作家ではないけれど、これは特にポジティブな作品になっている。

連作を通して強烈な印象を残す陣内という男が出てくる。彼が人間の面倒なところをほとんど一言の元に粉砕してしまうのである。その言動が作品の色を決めているといってもいい。彼は世間やら他人やらといった曖昧なものに阿るということを知らない。行動原理はすべて自分の中にある。だから一見、身勝手で傍迷惑だけれど、否定することは難しい。

物語中の、彼の唯一の屈託は父である。

これはこの連作を長篇と見たときの経糸といえる。表題作とその姉妹篇たる「チルドレンII」は家裁調査官の話で、陣内は視点人物となる武藤の先輩として登場する。そこでは、屈託を乗り越えた後の陣内の姿が描かれる。この2篇を挟むように配された3篇の学生時代のパートこそが、この家裁篇2作に揺るぎない説得力を与えている。

最初の1篇「バンク」で、陣内はスコブル奇矯な大学生として登場する。銀行強盗に遭遇して犯人に楯突き倒した上、何故かビートルズを歌い出したりする。続く表題作ではいきなり家裁調査官になっていて、どうやら相変わらず無茶をしているらしいことが分かる。何しろ、囲まれている苛められっ子を自ら殴りつけた、なんて挿話が語られるのだ。

3篇目の「レトリーバー」では、彼の行動原理に学生時分から一貫してあった、公正でフラットな物の見方が垣間見える。この辺りで、陣内の評価はプラスに転じ始めるはずだ。それから、満を持して「チルドレンII」で奇行の裏にある彼なりの思いやりが、少々あざといやり方で明示される。冷静にこれだけを読むと青臭い話に思えなくもない。

そして、最終篇となる「イン」で、やり方としては実にありふれた、それでいて陣内なればこそ納得できるという絶妙のシチュエーションで、彼の屈託は処理され、物語は閉じる。全体を通して、構成、語りともに端正というほかない。それぞれを短篇として読むことは可能だけれど、長篇として読むことで1篇の厚みが何倍にもなる。巧い。本当に巧い。

著者のこれ以前の作品中では、かなり良いできなんじゃないかと思う。

related entry - 関連エントリー

trackback - トラックバック

trackback URL > http://lylyco.com/cgi/mt/mt-tb.cgi/203

comment - コメント

コメントを投稿

エントリー検索