伊坂幸太郎『重力ピエロ』(新潮文庫)

伊坂幸太郎『重力ピエロ』(新潮文庫)伊坂幸太郎『重力ピエロ』を読んだ。

少し変わった異父兄弟の話だ。飄々として乾いた印象のいつもの伊坂節の裏に、家族ものらしいややウェットな情感が潜んでいる。『オーデュボンの祈り』『ラッシュライフ』と世界を共有しているのは、もうお約束といっていいかもしれない。

たとえば、本職泥棒の黒澤が意外な役回りで出てきて、なんとも美味しいところをさらっていく。どうやらこのキャラクター評判が良いらしい。案外、著者も気に入ってるんじゃないかと思う。もちろん、ぼくだって好きだ。

それにしても、この人はあまりミステリというジャンルに執着がないのかもしれない。デビュー作からしてミステリとしては異端だったわけで、印象だけでいうなら既にしてジャンルフリーといえなくもなかった。

その傾向はますます進んでいるように見える。といっても、別にファンタジックになっているわけではない。むしろ、フワフワとした浮遊感は目減りし、地に足がつきつつある。その意味では『オーデュボンの祈り』あたりよりもずっととっつき易いと思う。

また、「ミステリ的な退屈な手続き」といった章題を見ても、ミステリを意識していないわけではないだろう。むしろこうした表現が辛うじてこの作品をミステリらしく見せているといってもいいかもしれない。何しろ謎らしい謎がほとんどないのである。

小さな謎は散りばめられているけれど、それは小説を面白くするためのスパイス程度のもので、ミステリ的な謎とはいい難い。だから、謎の女の正体から放火の犯人に到るまで、あらゆる秘密は登場した直後か、少なくとも開示される前には解ってしまう。

要するに誰が何をしたのかは問題ではなくて、何故そうせざるを得なかったかが問題なのである。いい換えれば、それは個人の価値観の問題である。どんな価値観に従った、あるいは、どんな美学に支配された行動だったのか。すべてはそこに帰ってくる。

だからたぶん、少々個性的な弟、春の価値観を愉しめるかどうかが、この作品を評価する鍵となる。ここで倫理的に許せないと思う人にはたぶん最初からこの本は向かない。確かに倫理の問題も含んではいるけれど、それは副次的なものだ。

そして最後に兄がだす結論こそが本筋なんだろう。それはつまり「家族」という単位の復権だ。ただしそれは旧弊な「家」という単位とはかなり違っている。1番の違いは血縁に対する態度だろう。最初にややウェットだと書いたのはここのところの話だ。

血というある意味で先天的な条件によって生み出される不幸をいかに克服するか。レイプによって生を受けた春の人生は、その来歴によってあまりに強固に規定されてしまった。それはもう引き返すことも曲がることもできないレールである。

そのレールを春は全速で走り抜ける。そんな彼の行動はどう評価されるべきか。そこで家族の歴史という後天的な実感に重きを置こうという主張は、ほとんど書き尽くされたネタである。だから、兄の言葉はたぶん、とても陳腐で、とても的を射ている。

陳腐が悪いわけではない。陳腐がつまらないわけでもない。実のところ少々小ぶりな印象は拭えないのだけれど、陳腐な要素を多く含みながら、作品自体は陳腐に堕さない。それこそがこの著者の個性であり、強みなんだと改めて思い知らされた。

著者のさらなる飛躍を期待してしまう。そんな作品だ。

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comment - コメント

TBありがとうございます。こちらからもしたのですが、反映されてませんか?できていないようなら、また日をかえてさせていただきますね。

伊坂氏の作品に流れる「美学」が、好きです。ヒューマニズム、という言葉を思いだします。その言葉を、皮肉を交えないで思いだせるところが、素晴らしいと思っております。

ERIさん、コメントありがとうございます。
どうもそちらからのTBは反映されていないようです。お手数ですが再度送信してみてくださいね。

ぼくもこの著者の作品は結構好んで読んでいます。といっても、とことん文庫&ノベルス派なので、単行本や雑誌でしか発表されていない作品は未読なのですが。それでも、文庫が出れば自動的に買ってしまうくらいには好きなんですよね。
伊坂作品ではそれぞれのキャラクターがそれぞれの価値観を持って生きていて、その点だけには迷いがない。そんな真直ぐさに惹かれます。

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