恩田陸『蛇行する川のほとり』(中公文庫)

恩田陸『蛇行する川のほとり』(中公文庫)恩田陸『蛇行する川のほとり』を読んだ。

この人の著作から受けるいわゆる24年組的な印象が最も色濃く表れている作品かもしれない。だからここで取り沙汰されるノスタルジーは、そうした漫画作品やなんかに植えつけられた虚構のノスタルジーである。そして、あまりにも濃厚な少女小説であるが故に、拒絶反応を示す向きもあるかもしれない。ほとんど美少女の園といっていい。

けれども、24年組の漫画家たちがそうであったように、恩田陸の作品も道具立てほどに甘い話にはならない。美に対峙するのは罪であり死である。美しい少年少女らが川のほとりの邸に集まって、そこに壮絶な屈託のないわけがない。誤解に満ちた隠微で危うい関係、断片的に共有される過去、誰もが本当には知り得ない真実…。

本編は大きく3部構成になっている。元は1部ずつ3分冊の定期刊行という形態をとっていた。つまり、続き物だったのである。だから、そんな刊行形式をうまく利用した構成になってもいる。真相に肉薄したと思ったら部が改まり、視点人物が変わるのである。初版刊行時、発売ごとに読んでいた人たちは相当ヤキモキさせられたに違いない。

作中、「藪の中」に言及する部分がある。芥川龍之介が書いたそれは、ミステリファンの間でも評価が高い。ひとつの事件を7つの証言で描く。これがまるで違った事件のように語られる。真実は錯綜し、それがいかに不確実なものかが浮き彫りになる。所詮、個人的体験は個人的真実でしかあり得ないのだと思い知らされる。

この作品は、少年少女らがある過去の事件について語ることで真実を追求していく。そしてやっぱり、それぞれが違った真実を見ている。この辺りの趣向は、明らかに「藪の中」を意識してのものだろう。でなければ、わざわざ少女らにそれをテーマにした舞台背景を描かせたりはしない。恩田陸というのはそういう作家だと思う。

けれども、この作品と「藪の中」には決定的な違いがある。というのも、この作品はラストでオチる。リドル・ストーリーではないのである。芥川龍之介は、当然のように客観的真実といったものを提示しない。まさしく「真実は藪の中」のまま終わる。読者は宙ぶらりんのまま放り出され、決して到達できない真実を求め続けることになる。

その点、恩田陸は読者のために一応の心の平安を用意している。最後の最後で「真実らしきもの」が語られるのである。もちろん、それとてひとりの少女から見た真実でしかないという見方はあろう。けれども、作中で追求される真実とは、即ち、その少女が体験したはずの真実なのである。であれば、その告白は紛うことなき真実の告白となる。

純粋に推理小説として読んだなら、その死に到る物理的経緯はあまりよくできたものではない。けれども、話の肝はむしろ心理的経緯の方である。屈折した愛が屈折した死を呼び込み、屈折した少女を作り出す。その屈折は関わった少年少女たちを否応なく変質させ、本来それほどの関わりさえなかった少女たちの少女性までをも失わせてしまう。

そして、ただ死だけが、少女性の代わりに聖性を担保する。

とても未熟でとても美しい…これはそういう少女たちの物語である。


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芥川龍之介『地獄変・邪宗門・好色・薮の中 他七篇』(岩波文庫)

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comment - コメント

少女たちの人間模様がリアルでよかったです。
さびしいけど、好きな本です。
タイトルも合っていると思います。

ユキノさん、いらっしゃいませ。
こういう御伽噺のようなリアルを書く。恩田陸くらい上手い作家はなかなかいないような気がします。タイトルについても、デビュー作からして非凡でした。いかにも吟味されている。そういう感じが読んでいて気持ち好いですね。

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