浦賀和宏『世界でいちばん醜い子供』(講談社ノベルス)

浦賀和宏『世界でいちばん醜い子供』(講談社ノベルス)浦賀和宏『世界でいちばん醜い子供』を読んだ。

ここまでくると、書名にシリーズ名と連番を付すべきじゃないかと思う。なにしろ、シリーズモノだけど単体でも楽しめる…みたいな配慮は全然ない。『松浦純菜の静かな世界』から順に読み進むことが、この本を愉しむための絶対条件となる。と、前振っておいて、今回の感想はこれだ。

意外性炸裂。

前作の破壊的顛末に固唾をのんだ読者を、あたかも嘲弄するかのようなスカした展開である。モンスターとして開眼したかに見えた八木剛士が、なんとほとんど出てこない。というのも、視点人物が八木からヒロインの松浦純菜にシフトしてしまったのである。

ルサンチマンと呼ぶには壮絶すぎる八木節は、5作目『さよなら純菜 そして、不死の怪物』で臨界を迎えた。主人公が鬼畜と化す。それが読者の溜飲をさげるという、いかにも著者らしい屈折。だからこそ、誰もが八木の変貌後の姿に期待したはずなのである。

ところが、ここで素直に一皮むけた八木君の姿など描かないのが浦賀和宏という作家の持ち味だろう。もしかすると、このシリーズは今作で後半戦に入り、松浦純菜の物語にシフトしたのかもしれない。これから5冊をかけて純菜の飛翔が描かれる。そんな風にも思える。

これまで八木視点で描かれてきた純菜の姿は、まさしく地上に舞い降りた天使のごときものだった。腕に障害があるとはいうものの、容姿、行動力、コミュニケーション能力に優れ、本来なら自分とは住む世界の違う女の子。自分との繋がりはただ特殊な「力」のみ…というのが八木の主観的世界だった。

純菜視点に切り替わった意味がここにある。

八木視点では完全に勝ち組のひとりだった純菜が、実はかなり深刻な劣等感に苛まれている。純菜視点では、完全に八木、南部寄りのドロップアウト組の一員なのである。にも関わらず、自分は彼らよりはマシだと見下す心を否定できない。それは相当に苦しい立ち位置である。

のめりこんで読むと気付き難いけれど、今回も純菜の行動自体はとても積極的だ。ところが内面描写が加わるだけで、なんともドロドロと煮え切らない態度の連続に読めてしまう。まったく同じ展開を八木視点で描いていたなら、オタクの自分を見捨てて飛翔するアクティブな美少女のままだったはずだ。

実は、今回はっきりすることがひとつだけある。純菜の八木に対する気持ちである。これまでは、八木がひとり悶々と想像を巡らせるばかりで、なんとも歯痒い状態が続いていた。これに一応の答えが与えられる。ただし、今度は純菜の独り相撲という形で、である。

これまで八木の妄想に引きずられて純菜を神格化してきた読者にとって、ここで描かれる彼女の内面は簡単には受け止め難い。歓迎すべきでもあり、どこか残念でもある。そして、なによりもシンパシーを感じてしまう。考えてみれば、これは結構な力技である。

コペルニクス的転回とかベタなことをいいたくなる。

結局はラブストーリーを書いている。そう思いたくなるくらいに、この作品は純菜と八木のすれ違いの物語と化してきた。そして、そうした読みに心地好ささえ感じ始めている。けれども、これはたぶん罠だろう。浦賀和宏という人がこの手の甘い期待に応えるような作家だとは思えない。

果たして著者はふたりの物語をどこへ繋げようとしているのか。

これほど心に引っかかる小説もなかなかない。


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浦賀和宏『松浦純菜の静かな世界』(講談社ノベルス)
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comment - コメント

同感です。すごくよく分かります。

やすくんさん、いらっしゃいませ。
世界でいちばん醜い…とくれば、シリーズ読者の大半は八木の話だと思いますよね。さすがは浦賀和宏といったところでしょうか。

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