舞城王太郎『みんな元気。』(新潮文庫)

舞城王太郎『みんな元気。』(新潮文庫)舞城王太郎『みんな元気。』を読んだ。

短篇集である。全5篇が収録されていたはずの単行本が、文庫化されて全3篇になっている。首を捻りながら調べてみると、残り2篇に書下ろしを加えた『スクールアタック・シンドローム』が追って発売されるらしい。分冊にするほど厚い本ではないけれど、奔放なパワーが迸りすぎている舞城節のこと、3篇ずつくらいがちょうどいいかもしれない。

お得意の家族愛をベースにした表題作がメインである。他の2篇はえらく短くて、主張らしきものは強烈に感じるものの、それが何なのかが分かるほどにまとまった話ではない。一方、表題作の方は設定こそ頓狂ではあるものの、展開についていけないほどではなく、圧倒的な饒舌体を毛嫌いさえしなければかなり気持ちよく読めると思う。

純文学が著者に色気を出しているのか、著者が純文学に色気を出しているのかは分からないけれど、いかにもエンターテイメントに配慮した、よくできた構成みたいなものが希薄になっていることは感じる。分かりやすさや整合性といった頚木を取り払って、筆が走るに任せているような印象が確かにある。この作品辺りがボーダーラインだろう。

時制や空間や登場人物たちの関係性にこれ以上の自由を導入してしまっては、多くの人が読めなくなってしまう。それはちょっともったいない。表題作以外の2篇「Dead for Good」や「矢を止める五羽の梔鳥」くらいまでいくと正直読み難い。妄想力は存分に発揮して欲しいところだけれど、構成や展開には表題作程度には気を遣ってもらいたい。

その表題作にしても、筋は相当に飛躍している。

何しろ、空飛ぶ家族が突然家にやってきて4人姉弟の末娘を連れて行くのである。でもって、代わりに男の子をひとり置いていく。そんなあまりに空想的な話の中で、家庭の日常や、家族のひとりを失ったことによる家庭の変容、各人の内面なんかはいやにリアリティを持って語られている。整理されないままの生の主張がぼろぼろと零れ出てくる。

一緒にいるから家族なのか、たとえ一緒にいなくても家族なのか、血が繋がっていないと家族ではないのか、血さえ繋がっていれば家族なのか。そんな普遍的な問いを含みつつ、選択するとはどういうことかという、極めてシビアな問題を容赦なくぶつけてくる。そのやり方は、あまりに暴力的かつ夢想的で、頭がぼーっと痺れたようになってくる。

この文体で、このイマジネーションの上に乗せて語られるからようやく読める。それくらいに大上段で、真っ当で、恥ずかしいくらいにポジティブな話である。同じテーマを正統のエンターテイメント系作家が掲げて書いたりしたら、きっと鼻で笑われるに違いない。これを堂々と出して読ませるところに舞城王太郎の凄さがある。

要するに洗練されていないわけだけれども、その生っぽさが今の著者の魅力なのである。読むというよりは感じる。そして、小説を否応なく愉しんでしまう。考えながら読むなんて悠長なことはしていられない。著者の読者を引き摺りまわす技術はあまりに非凡だ。極端な話が、内容なんて分からなくても目で追うだけで愉しめてしまう。

本作はそんな芸風の現時点での最も極端な例かもしれない。

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