高田崇史『QED 河童伝説』(講談社ノベルス)

books070215.jpg高田崇史『QED 河童伝説』を読んだ。

シリーズ外伝となる前作『QED ventus 御霊将門』は固定ファン向けの、小説としては少々読み辛い1冊だった。そのせいで、今作が出たその日、つい買うのを躊躇ってしまったほどだ。けれども、外伝で判断してしまうのも早計だろうと、発売から少々遅れて手に取った。

これが、思った以上に読ませる。

ファンサービスたるマンネリズムもきっちり押さえながら、今回は固定ファンでなくとも十分に楽しめるだけの柱をしっかり持っている。河童伝説となってはいるけれど、これは要するに「鬼退治」の話である。ここに現在の事件がちゃんとリンクしている。

また、医院や薬局周辺の、部外者には見え難い業界の実情や、サラリーマン小説風に描かれる医薬品関係者たちの姿もなかなかに興味深い。シリーズキャラクターがやたら浮世離れしているだけに、こういう描き方もできるのかと意表を衝かれた。

企業の世代交代や派閥争いなど、その描かれ方自体は割とステレオタイプだ。けれども、気を抜いてはいけない。このステレオタイプにはちゃんと意味がある。そこに桑原崇が語る河童、あるいは鬼の歴史がオーバーラップしてくるのである。

権力とまつろわぬ人々という構図は、著者の作品の一貫したテーマである。タタラを軸とする論証の過程もいよいよお家芸の域といっていい。その構図の中に実に分かりやすい形で現在の事件が照射される。今回のポイントは公権力による「鬼退治」の手法である。

その手口は実に姑息だ。飢えた鬼に餌をちらつかせて寝返らせるのである。そして自らは決して手を汚さない。将門討伐をはじめ、その歴史的実例が随所で語られる。これを解かりやすく今に置き換えるとどうなるか。こうして現在の将門が描かれる。

読めばすぐにそのキャラクターが将門の位置にあることは解かるはずだ。あまりにあからさまだと思う人もいるだろう。けれども、著者の歴史観を知るという意味では、これが実に効果的だ。素直に巧いと思う。その歴史観が一般的に妥当なものなのかどうかは分からない。

ただ、十分に共感はできる。

ミステリ的には大技のない地味な作品である。犯人が明らかになる過程にも推理らしい推理はない。けれども、主眼がそこにないのだから、これはまったく瑕にならない。現在進行形で語られる事件は、あくまでも歴史解釈の一助となるための挿話なのである。

もう完全に独自の歴史ミステリを確立しているといっていい。


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高田崇史『QED 河童伝説』(講談社ノベルス)
高田崇史『QED ventus 御霊将門』(講談社ノベルス)

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