高田崇史『QED ventus 御霊将門』(講談社ノベルス)

高田崇史『QED ventus 御霊将門』(講談社ノベルス)高田崇史『QED ventus 御霊将門』を読んだ。

ついにここまできたか、と思う。ここまできたら、もう余計なミステリ的趣向は要らないんじゃなかろうか、とも。何しろ本筋に挟まれて進行するストーカー事件は、正真正銘の蛇足である。トリックにも工夫はまったく見られないし、これを挿入した意図はとことん不明だ。

歴史ミステリなんて呼ばれるジャンルでは、歴史の謎と現在進行形の謎がシンクロして解決に向かう、という形を取ることが多い。そのふたつの要素が緊密に関わりあっていればいるほどラストの衝撃は大きくなる。関連が密であれば、多少の牽強付会はあっても構わない。

もちろん、逆もまた真なりとは限らない。けれども、あまりに無関係だとなんでひとつの物語になってるんだという話になる。このシリーズ最新作は、残念ながら完結したひとつの物語としてはほとんど体を成していないように見えるのである。

元々ventusを冠した作品はシリーズの外伝的扱いなのだろうけれど、今回は本当に将門を巡る歴史探訪以外は何もない。そもそも、著者のファンの多くは、この歴史の講釈を楽しみに読んでいるわけで、これでいいといえばいいのである。

ただ、それなら幕間に挿入される微妙すぎるサスペンスは要らない。ラストもはっきりいって相当に下らない。ありていにいうなら、ただの宣伝である。叙述トリックというのも躊躇われるようなオチの酷さには驚愕を飛び越えて爆笑してしまった。

なので、この作品はただただ将門談義として読むのが正しい。

それ以外の読み方はできないと思っておいた方がいい。その分、そちらの方は俄然読み応えがある。ぼくみたいに荒俣宏の『帝都物語』で初めて「将門=大怨霊」のイメージを植え付けられたような歴史音痴でも、著者の論法に慣れてさえいれば十分に楽しむことができる。

いつもの通り、神社や史跡の類を訪ね歩きながら、とにかく桑原崇が滔々と独り喋り倒す。ヒロインの奈々なんてほとんど喋りもしない。ラスト近くであるキーワードを吐いて、崇に最後の真相を気付かせるためだけに存在しているに過ぎない。

理論展開はシリーズファンにはお馴染みのパターンである。「鬼」ことまつろわぬ人々に視点を据えた歴史解釈は、すでに定番といっていい。史料の出し方も手馴れたものである。大掛かりな仕掛けはないけれど、結論自体はなかなかにエキサイティングなものだ。

そして、「将門≠大怨霊」という非常識は証明される。

これはもう、完全にファンのためだけの作品である。

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comment - コメント

TBありがとうございました。
自分のブログではかなり曖昧に、批判するところをごまかしてしまったのですが…。今、深く頷いております。全く同感なのです。
初期の作品では、まだ現実の事件と歴史の謎がつながっていましたよね。今回はテーマにからむと思わせといて実は…というメタ的展開なのかと、思わず勘ぐってしまいました。

TBありがとうございます。
リンクさせていただきました。
多彩な読書の方向性をお持ちですね。参考にさせていただきます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

>桜雪さま

コメントありがとうございます。
ちょっと批判的な感想になってしまって、気を悪くされる方もいるかなと、少し心配していたりもするのですが、共感してもらえたなら良かったです。
キャラものとして読むと、桜雪さんも記事に書かれていたように、奈々のマニアックな恋心が気になるところですね。男から見れば、あんな空気の読めない歴史オタクでも可愛い女性に好かれることもあるっていう、ある種の願望のような気もします。一種の電車男妄想というかなんというか…。

>minami18thさま

コメント&リンクありがとうございます。
読書は幅広くと思いつつ、現実にはミステリ系が多かったり、時代系やノンフィクション系が少なかったりと、やっぱり偏りが出ちゃいますね。あと、翻訳モノに苦手意識があって、あまり海外文学に手が出ないというのもあります。読めばそれでも面白いんですけどね。
ではでは、こちらこそヨロシクお願いします。“国境の南”にもまた伺いますね。(※とても印象的なサイト名ですね)

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