古川日出男『サウンドトラック』[全2巻](集英社文庫)

古川日出男『サウンドトラック』(集英社文庫)古川日出男『サウンドトラック』を読んだ。

これほどワクワクする小説にはそう出逢えない。

ただ読んでいるだけで、筋肉がピリピリと痙攣し、身体がジリジリと熱を帯びてくる。身体中の血液がドライブする。日本語は加速度的に解体され、独自に再構築されていく。それはすでに、『サウンドトラック』という作品のためにオーダーメイドされた言語といっていい。

ほとんど異種ともいえる異端のキャラクターたちや、ほとんど予定調和ともいえるカタストロフは、読者の期待を裏切らず、けれども、想像を絶する疾走感と共に眼前に立ち現れてくる。それも直線的にではない。無軌道に、鋭角的に、翻弄するように展開する。

決して読み易い日本語ではない。流れをつかむまでは、奇妙な違和感すら覚えるかもしれない。何しろ言葉が走り出すほどに、独特の言語感覚に支配されていく。端正だとか精緻だとかいう言葉とは無縁である。行儀の良い日本語では伝わらない躍動が、確かにそこにある。

言葉を完全に自分のものにしている。

タイトルに反して、主人公たちの世界に音楽はない。物語の始まりと共にそれは奪われ、あるいは抹殺されている。けれども、サウンドトラック・レスの物語は、疾走するサウンドトラックのように身体に直接響き渡る。有無をいわさぬ勢いで侵入してくる。

身体が慣れるまで、もしかすると多少の時が必要かもしれない。けれども、耳を傾ける内に、自然、身体は反応し心は囚われている。そうなると、もう抜け出すことはできない。ズルズルと引き摺られ、次第に自ら駆け出している。

それはまさに読む快楽である。

自分がページを捲っていることも、目でテキストを追っていることも忘れ、ただただ身体中に注がれ続ける音楽に酔う。日常は疾うに後景へと追いやられ、圧倒的なイマジネーションが眼前に立ち現れる。そこでは当たり前のように少年の力と少女のダンスが世界を支配する。

熱帯と化した東京には伝染病が蔓延し、生命力に富んだアジア系外国人たちが次々と街を支配していく。地下にはいつの間にか無数の洞穴が掘られ、本土奪還を目論む原住民たちが勢力を拡大している。そんな近未来の東京が異様なリアリティを持って迫ってくる。

そして、少年と少女が再会する瞬間の、最高の幕引き。

しばし茫然自失し、背中が痙攣するのを止められなかった

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comment - コメント

こんにちは!
最初の数ページを読んだだけで、あ、この本は面白いに違いないとドキドキしました。
そんな風に思える本って貴重です。
古川作品は密度が濃いせいで、読むとクラクラします。その世界観から抜け出すのはちょっと難しい……
なので、次を読むのはもうちょっと時間を開けようなんて思ってます(笑)

>かずはさん

そうですよね、この人の本は最初の数ページ、これがポイントだと思います。この段階で合わないと思った人は、たぶん最後まで絶対に合わない。それくらいの個性を持ってますね。
実のところ、日本語の使い方はかなり変というか、学校で習う国語的にいえば間違った用法も多いと思うんですよね。それが読んでて気持ちよくなってくるんだから不思議です。

こんにちは!
トラックバックさせていただきました。


> それはまさに読む快楽である。

僕もその快楽を十二分に堪能することができました。

> 言葉を完全に自分のものにしている。

りりこさんのおっしゃる通りだと思いました。

僕は古川氏の文章を読んでいると、
一瞬にして脳内に映像が出現してしまうのです。
だから彼の作品は、
『読む』というよりは、
『観る』という方が適切だと僕は感じています。


それではまた、
ごきげんよう。

>T.Satoさん

最近、サイトの管理がおろそかになっていて、お返事が遅くなりました。スミマセン。近々、更新再開しようと調整中なんですが…。

古川日出男の作品を『観る』というのもなんとなく解かる気がしますね。

ぼくはより広義に『感じる』というイメージを持ったりもしたのですが。というのも、映像的なイマジネーションの強い人には『観る』、音楽的な感性が強い人には『聴く』というように、読む人の感受性の傾き方によって感じ方が違うのかもしれないな、と。

いずれにしても、言葉の新しい力を感じられる作品でした。

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