蒼井上鷹『九杯目には早すぎる』(双葉ノベルス)

蒼井上鷹『九杯目には早すぎる』(双葉ノベルス)蒼井上鷹『九杯目には早すぎる』を読んだ。

先に『二枚舌は極楽へ行く』を読んでいたから、いきなりこのデビュー作に当たった人に比べれば耐性ができていたかもしれない。にも関わらず、やっぱり面白かった。面白いというか苦かった。これほど健気な小市民がドツボに嵌る姿ばかり描かれる短篇集というのも凄い。人が悪いとはこういうことをいうのである。

短篇やらショートショートばかりだから、どれも説明は最小限である。中には食い足りない印象の話もある。けれども、仮に全部説明してあったとして、それはそれで野暮だろうとも思う。ズルズルと引き込まれるのは、この「もう少し説明を…」という飢餓感にもよるのかもしれない。難しい匙加減をうまくコントロールしている。

テイストは完全にブラックで、奇妙な味わいのフルコースといった趣。哀れを誘うものから思わずゾっとするものまで、その振れ幅は思いのほか大きい。しかも、かなり凝った推理モノになっている話もある。そう思って身構えて読むと、みごとにスカされたりもするから油断ならない。一筋縄でいかない。

ある種の連作ミステリを読みなれている人がこの本を初めて手にすると、まず「大松鮨の奇妙な客」のラストで吃驚することになると思う。何しろ探偵役がアレである。もちろん、こうした仕掛けは目新しいものではない。けれども、うまく読み手の先入観を利用している。しかも、あまりに可愛そうで驚きながら胸がチクチクと痛んだ。

この著者の文体がまた恐ろしくネットリと巧くって、気分を逆なですること夥しい。後味はどれも最低で、スッキリする話なんてひとつもない。「私はこうしてデビューした」や「タン・バタン!」に見るめくるめくディスコミュニケーションの嵐など、神経がねじ切れるほどの絶品である。各主人公にはご愁傷様といういうよりない。

後味の悪さでいうなら、ショートショート「清潔で明るい食卓」が最凶だろう。あっさりとしながらこれほど悪意に満ち満ちた話はない。この短さでこれだけ禍々しい読後感を植えつけるなど、なかなかできるものじゃない。しかも、油断していると、ついさらりと読み飛ばしそうになる。その何気なさがいっそう怖い。

落ち込む話という意味では「見えない線」も凄い。若い男の恋愛譚みたいなものはうまくいかないのが世の常で、大抵は切なさがウリになる類の話である。もちろん、この著者にそんなセオリーは通用しない。最悪の卓袱台返しともいうべき身も蓋もないラストには、主人公のみならず、感情移入していたこちらまで茫然自失の態である。

表題作をはじめ、タイトルのセンスも好い。最後に収められている小説推理新人賞受賞作「キリング・タイム」は、一義的には「暇潰し」の意味である。これが読み終えると洒落にならないダブルミーニングになっている。可笑しいやら哀しいやらで、ついしんみりしてしまった。これぞ正しいスラップスティックの姿だろう。

デビュー作にして手練の風格である。

叶うならば、上質な短篇作家であり続けて欲しい。


【収録作品】
・「大松鮨の奇妙な客」
・「においます?」
・「私はこうしてデビューした」
・「清潔で明るい食卓」
・「タン・バタン!」
・「最後のメッセージ」
・「見えない線」
・「九杯目には早すぎる」
・「キリング・タイム」

related entry - 関連エントリー

trackback - トラックバック

trackback URL > http://lylyco.com/cgi/mt/mt-tb.cgi/183

comment - コメント

コメントを投稿

エントリー検索