あさのあつこ『バッテリー〈5〉』(角川文庫)

あさのあつこ『バッテリー〈5〉』(角川文庫)あさのあつこ『バッテリー〈5〉』を読んだ。

ついに5巻目だ。ここへきて天才ピッチャー巧に、妙に生っぽい少年らしさが現れ始めた。違和感がないといえば嘘になる。もちろん、前作ですでに兆しはあったし、女房役の豪との関係をきっかけに、不器用に揺れ動く巧という図式は、必然なんだろうと思う。

いずれ、バッテリーは成長物語として完成しつつあるらしい。

5巻目にして話は少年たちの心の襞に入り込み、物語は停滞しているかに見える。それでも、この巻が既刊4巻に負けていないのは、最終巻に向けてお膳立てする瑞垣の働きによるところが大きい。彼のキャラクターは相当に特異だ。

瑞垣というのはライバル校の問題児である。賢しい上に口がすこぶる悪い。はっきりいって、児童文学にあるまじきキャラクターである。当たり前の親なら、我が子に読ませることを躊躇うかもしれない。それほどに歪んでいる。

彼と彼の屈折にひと役買っている天才スラッガー門脇との関係は、恐らく豪と巧の危うさを先取りしている。どうやら瑞垣は豪の反面教師として存在しているらしいのである。それは、天才を正しく理解できてしまうことの悲劇といい換えていもいい。

瑞垣も豪も才能の点では凡人の域ではない。けれども、なまじ能力が高いばかりに、自分にはなり得ない本物の天才を、傍にいる門脇や巧にまざまざと感じ取ってしまう。ここに苦悩が生まれないとすれば、それはキレイごとだろう。

ただ、孤高の天才に見える門脇や巧を、著者はキレイな人形のままにしておかない。瑞垣や豪が苦しむのは、孤高の天才であるはずの門脇や巧が、実は彼らに依存しているせいでもある。しかも、どうやら本人たちはそのことに気が付いていない。

その点で門脇は巧よりも自分が見えている。

この巻で巧は、これまでの身勝手で無意識的な依存から、ようやく脱却する気配を見せる。豪を知りたいという自分の感情を認め始めるのである。これはおそらく巧が弱くなったことを意味しない。むしろ、これを成長として描くのが本筋のはずだ。

裏を返せば、これまでの超然とした態度の方こそ、強さに由来するものではなかったのである。お陰で、この巻の巧のキャラクターには端々に破綻が見られる。しかも、その破綻は修復されず、次巻に宿題を残したまま幕となる。

これでは最終巻に期待しないわけにはいかない。


【関連リンク】
・あさのあつこ『バッテリー』
・あさのあつこ『バッテリー〈2〉』
・あさのあつこ『バッテリー〈3〉』
・あさのあつこ『バッテリー〈4〉』
・あさのあつこ『バッテリー』(全6巻)

related entry - 関連エントリー

trackback - トラックバック

trackback URL > http://lylyco.com/cgi/mt/mt-tb.cgi/46

comment - コメント

コメントを投稿

エントリー検索