山田真哉『「食い逃げされてもバイトは雇うな」なんて大間違い 禁じられた数字(下)』(光文社新書)

山田真哉『「食い逃げされてもバイトは雇うな」なんて大間違い 禁じられた数字(下)』(光文社新書)山田真哉『「食い逃げされてもバイトは雇うな」なんて大間違い 禁じられた数字(下)』を読んだ。

これはもはや会計学の書ではない。むしろ、会計士が会計的思考の限界を語るのがこの本の主眼になっている。つまり、上巻で会計というものの考え方の有効性を説き、下巻でその一面性を暴露する。そういう作りになっている。分かりやすい。じゃあ、会計的センスとか要らないじゃん、というのは違う。まずは、当たり前のものの見方を身に付ける、或いは、再確認する。何しろ当たり前というのは個人差がある。その差を詰めるのが上巻だったといってもいい。とにかく足並みを揃える。それから、その常識が実は物事の一面でしかないことを説く。堅実だ。

前作の「食い逃げされてもバイトは雇うな」という認識は正しい。ただし、前提を忘れてはいけない。そこには「会計的に」というただし書きがつくのである。食い逃げとバイトのコストという切り口で具体的な数値を出して見せる。これは説得力がある。この数字の説得力こそが罠である。そこで思考停止してはいけない。これが本書の肝である。なぜなら「会計的に」という前提は絶対ではない。ここでいう会計的というのは、単純化された現実を前提とする姿勢と言い換えてもいい。単純化は確かに有効な方法だけれど、それが全てだと勘違いしてはいけない。

食い逃げの例を考えてみる。食い逃げの想定被害額とバイトの給料を比較して、食い逃げ防止のために雇ったバイト代の方が食い逃げ被害より高くつく、というのが会計的な結論である。なるほど、明快だ。けれども、食い逃げ防止のため「だけ」にバイトを雇うというのは、そもそも現実的な提案だろうか。経営者がそんな提案を却下するのは当たり前である。けれども、「店のために」と条件を変えればこれは話が違ってくる。食い逃げ防止は目的の一部ではあっても、すべてではなくなるからだ。むしろ、そんなものは副次的な効果と考えるべきだろう。

考えてみればバイトが人を呼ぶきっかけとなる可能性はいくらでもある。偶然の要素まで考慮するなら、ほとんど無限の可能性があるといってもいい。たまたま雇った超イケメンバイトが話題になって女性ファンが激増、雑誌の取材が殺到し、店舗拡張、新店オープン、売り上げ倍増…なんてこともないとはいえない。つまり、会計の限界というのは目先のコスト計算だけで結論を出すことの限界ともいえる。同じ食い逃げとバイトの話を聞いても、目に見えるコスト計算だけで思考停止しない。その先を考える。そこまでできなければ、会計的思考の価値は半減する。

本書に「費用対効果」が便利な言葉として紹介されているのも、実は同じことである。費用に対する効果というのは、二次的なものまで考えるならいくらでも考えることができる。牽強付会もプレゼンテーション次第で納得の理屈に化ける。ただし、そういった理屈は屋上屋を架すが如くに仮説を積み上げた結果であることが多い。つまり、単純なコストだけでなくリスクも考える必要が出てくる。たまたま雇ったバイトがコソ泥で客の財布を掏りまくり、店は信用をなくし、クビにすると最後の大仕事とばかりに全売り上げを持ち逃げされるなんてこともあろう。

こうした包括的な視座を持ってことにあたる。そうしてこそリスク回避的な対策も打てるのだし、ときに思い切った動きもできる。失敗しても「絶対イケると思ったのに!」なんてバカな悔しがり方をしなくてすむ。絶対なんてものが幻想だということは、少し考えれば分かるからだ。その上で、できる限り総合的に判断して行動する、もしくは、しない。そういうことの積み重ねが、選択の精度を上げていく。著者のいう「妙手」が打てるようになる。最初に、この本はもはや会計学の書ではないと書いた。いわば、これは会計を踏み台にしたビジネス論である。

表現の軽さやチープな読みやすさに騙されてはいけない。


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山田真哉『食い逃げされてもバイトは雇うな 禁じられた数字(上)』(光文社新書)
山田真哉『「食い逃げされてもバイトは雇うな」なんて大間違い 禁じられた数字(下)』(光文社新書)

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