酒見賢一『後宮小説』(新潮文庫)

books070605.jpg酒見賢一『後宮小説』を読んだ。

中国歴史小説のような顔をしたファンタジー小説である。ぼくは歴史に疎い。古文漢文にだって滅法弱い。そういう人間が読むと、これは歴史小説に見える。少なくとも、史実を基にしているのだろう、くらいには思うはずだ。まさか、丸きり著者の妄想の産物だとは思わなかった。独特の乾いた文体とも相俟ってやけにリアリティがある。

これをものしたとき、著者は若干25歳である。老成した文体だと思う。表現的にというより、その抑制された語りが、である。淡々として小気味良く、ユーモアに富み、決して情緒的にならない。盛り上がって筆が走るようなことがない。これがかえって奔放な創造を生かしている。大胆な妄想の内にリアリティを担保している。

リアルとフィクションとを繋ぐ仕掛けとして古くから採用されてきた形式に額縁小説などと呼ばれるものがある。たとえば、もっともらしい語り手や書物を登場させ、本筋となる物語をその中で語るという入れ子構造を持った小説である。この作品も少々変質した額縁構造を持っている。筆者が3冊の歴史書を元に語るという体裁になっているのである。

これによって、まるで筆者=現実の酒見賢一が、現存する歴史書を参考にしながら書いているというような、メタフィクショナルな仕掛けが機能する。無知なぼくなどは、うっかり本当の話かと思ってしまった。壮大な法螺ほど大袈裟に語るべきではない。なるほど、理屈である。これだけ堅実に、調子に乗らず大法螺を吹ける。稀有な才能である。

舞台は表題の通り後宮である。江戸時代風にいえば大奥ということになろうか。大陸に材を採っているせいだろう、矢鱈スケールが大きい。当代でかなり規模が縮小されたという設定にも関わらず、全国から何百という美女をかき集め、仮後宮なるところで半年もの教育を授ける。真面目腐った顔で、房事、つまりセックスについて教えるのである。

その学長的立場にいる角先生という人がとてもいい。頭でっかちここに極まれりという文人で、房事を哲学にしてしまっている。一方で、一番弟子の美青年が生々しい実技を担当するという構図は、大真面目に語られるだけに滑稽である。角先生の哲学とシンクロするように、後宮自体が子宮に見立てられているのも完成された様式美といえる。

そんな後宮に辺鄙な田舎からやってきた銀河という少女が本書の主人公である。権勢欲旺盛な宦官によって選ばれた銀河は、その天真爛漫で率直な性向が幸いして、半年の教育期間の後いまだ初潮も迎えぬまま正室となる。これだけ聞くと、なにやらシンデレラストーリーのようだけれど、これはそういう話ではまったくない。

権謀術数渦巻く中、王宮の外で実に行き当たりばったりな反乱が起こる。この乱の進行と銀河の後宮生活が平行して語られ、終盤ついにふたつのストーリーが合い和する。なんと、銀河は後宮軍ともいうべき即席の軍隊を組織し、反乱軍との抗戦に乗り出すのである。宮廷内の軽重火器を後宮に運び込み、宮女、宦官らがこれをぶっ放す。

無茶苦茶である。

しかもこの戦、内実は双方共にかなり間が抜けている。歴史などはつまらぬ偶然の集積に過ぎないとでもいうように、著者は揶揄するような注釈を実に無遠慮に挿入する。決して誰かに肩入れするということがない。これがやがて不思議な哀しみに繋がり、そうであればこそ、このトンデモナイ法螺話の結末に無類の爽快感を与えている。

これだけの世界を中国王朝的なガジェットを借りながらとはいえ、ここまで平易簡潔に語り、しかも、壮大な広がりを感じさせる手腕はみごとというよりない。それほど多くを語られていないキャラクターまでが、個性的な魅力と実在感とをもち、活き活きと眼前に立ち現れてくる。それほど長い話ではないにも関わらず、大長篇を読んだ充実感がある。

これは『陋巷に在り』(全13巻)も読まねばという気になった。

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この小説はだいぶ前にアニメ化されてました。
小説は読んでいませんがアニメブックの方で読んだ記憶があります。
ヒロインがおよそ後宮には似つかわしくない、元気なはねっかえりの女子であったのが印象的であったのを記憶しています。
懐かしいですね・・・。

ともちんさん、いらっしゃいませ。
これは「日本ファンタジーノベル大賞」という賞を獲った著者のデビュー作で、受賞作品はアニメ化するというのが当時の同賞の決まりだったようです。
“雲のように風のように”というタイトルで放送されたようですが、残念ながらぼくは観ていません。さすがに、原作のもつエゲツナサはずいぶんと抑えられているようです。2002年にDVD化されているという話なので、機会があれば観てみたいですね。

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