上甲宣之『そのケータイはXXで』(宝島社文庫)
上甲宣之『そのケータイはXXで』を読んだ。
やっぱり下手だ。それはそうである。何しろ、ぼくは前に2作目の『地獄のババぬき』を読んでいる。それはもう不細工な文章だった。そして、今回読んだのは同著者のデビュー作なのである。2作目より巧いはずがない。要するに下手なのは予定通り、分かっていて読んだのである。天邪鬼で選んだわけではない。面白いだろうと思ったから読んだ。
下手でも面白いということはある。
実をいうとぼくは山田悠介を1作だけ読んで捨てた人間だ。プロとは思えない文章や納得できない描写がてんこ盛りで、これが売れるのかなどと偉そうに思っていた。ところが、上甲宣之を読んで認識を改めた。下手でもいい。面白ければ。たぶん、山田悠介の場合は、たまたま作風が性に合わなかっただけのことだろう。
それにしても、無駄にエネルギッシュな作品である。そのエネルギーが、あらゆる瑕瑾を津波のように浚っていってしまう。畳み掛ける雑多なアイデアとスラップスティックなサスペンス描写が、考える暇もなく襲い掛かってくる。失笑の嵐がやがて本物の笑いと化す。今の時代だからこそ、そして宝島社だからこそ出せた本だろう。
登場人物たちの行動に無理があるとか、どう考えても自爆だろうとか、言動が明らかに不自然だとか、地の文が視点人物の知識に基いて書かれているのか、著者の声として書かれているのか微妙だとか、まるで「説明しよう」とナレーションでも入りそうな余計な解説が多すぎるとか、欠点を論うことにたいした意味はない。
むしろ、これだけ瑕を抱えながら面白いという事実に驚嘆すべきである。確かに心に響く作品ではない。因襲に縛られた僻村、怪しげな祝祭、陰惨な昔話など、横溝的ともいうべきジャパニーズゴシックな舞台を用意しながら、ケータイと奇矯なキャラクターで何もかもをぶち壊してしまう。ほとんどターミネーターのようなアクションまである。
心には残らずとも、一時を楽しむためのサービスなら過分にある。クライマックスに向かって誰も信用できなくなっていくサスペンスフルな展開に、叙述自体が謎をはらむ新本格系の手法、そこにホラー要素やらアクション要素までがこれでもかと投入されている。とにかく節操というものが欠片もない。これはそういう作品である。
ところでこの作品、どうやら映画化されるらしい。
監督はあの深作健太である。これは面白い。イメージはとても合っている。鹿爪らしい作品の似合わない監督である。故深作欣二の後を引き継いだ“バトル・ロワイアル II 鎮魂歌”といい、“スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ”といい、邦画豊作時代の今、これほどあからさまにB級臭を漂わせている監督も珍しい。だからこそ期待できる。
ホラー風サスペンスアクションだと思えば、まことに映像向きな作品である。『特攻の拓』の武丸もかくやという不死身の怪物女レイカなど、この上なくチープな特撮が映えそうなキャラクターである。いずれ、映像では原作の持つスラップスティックなノリは封印せざるを得ない。ミステリ的な表現もほとんど放棄することになるだろう。
つまり、エンタメの特盛を期待するなら、原作を読むにしくはない。
通勤通学のお供に最適の一冊だと思う。
posted in 07.05.15 Tue
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