古処誠二『ルール』(集英社文庫)

古処誠二『ルール』(集英社文庫)古処誠二『ルール』を読んだ。

ここ数年、戦争モノがやたら目に付く。映画、テレビ、小説と、メディアを問わず話題作が多いように思う。もちろん、すべてに目を通しているわけでははないけれど、なんとなく感じるのは、ずいぶんと今の時代を反映した作品が多いな、ということである。理由は簡単で、そもそも作り手が若い。

戦争映画ひとつとっても、昔は若者が喜んで観るようなものではなかったように思う。それが、最近は明らかに若い世代をもターゲットにしたような話が増えている。たとえば友情や家族愛や恋愛など、あくまでも個人の感情がフィーチャーされ、天下国家は二の次といった印象が強い。戦争は単なる舞台であり、テーマではない。

古処誠二という人もまた若い。

1970年生まれというから、限定的な意味での戦後すら知らない世代の作家である。ところが、この著者の戦争小説は、先に書いたようなイマドキの戦争物語とは明らかに一線を画している。愛だの恋だのといった普遍的な感情は描かれない。とにかく重い。それは誠実といい換えてもいい。おそらくは戦争を知らないからこその誠実である。

たとえば、愛する人を守るために自分は死ぬんだという戦争物語がある。そういう気持ちが嘘だったとは思わない。お国のためにというのもその対象が変わっただけで、行動原理としては似たようなものだろう。この本でも、そうした心情が吐露されるシーンはある。けれども、そんな人間的な感情はすぐに過去のものとなってしまう。

何しろ、彼らはすでに自覚している。自分たちの死闘は、国の勝利にも本土の家族を守ることにも一切奉仕しない。その死はすべて犬死である。自分たちが命を賭して戦っている間に、硫黄島も沖縄も米軍によって蹂躙されてしまった。下命される任務は明らかな矛盾、不条理を孕み、それでも逆らうことは許されない。

まさに八方ふさがりというよりない。

先の大戦を直に知る人がこの小説をどう読むのかは分からない。何も解かっていないと憤るのかもしれないし、そんなものじゃないと呆れるのかもしれない。けれども、戦争を知らないぼくにとっては、その絶望と壮絶さにおいて、これ以上に生々しく心に響く戦争小説はこれまでになかった。その意味で実にリアルである。

実体験というのは、体験者にとっては絶対のものかもしれない。けれども、それを伝え聞く者にとっては所詮他人の物語でしかない。それが個人の物語でしかない証拠に、戦争は戦争体験者の数だけ存在する。ならば、戦争を知らない者が想像によって紡ぎ出す物語と体験者が語る物語の間に本質的な差はない。あるのは力量の差だけである。

この作品で執拗に描かれるのは、極限状態の飢餓である。

舞台は第二次世界大戦末期のルソン島。誰もが敗戦を自覚しながら投降することも許されず、ただ軍令により過酷な輸送任務を負わされた兵士たち。手持ちの食料はあまりに少なく、端から行軍中の調達を前提とした任務である。けれども、道々の集落は悉く廃村と化し、食料などはすでに食い尽くされている。

むろん密林にまともな食い物など期待できるはずもなく、兵士たちはただただ衰弱していくばかりである。過酷な自然、空腹もまともに感じられないほどの飢餓が彼らを追い詰める。慢性的な滋養不足は、戦傷を悪化させ、マラリアを蔓延させる。その上にゲリラの奇襲までが重なり、隊は徐々にその人員を減らしていく。

飢餓が生む苦痛、狂気の描写は、淡々としながらも凄まじい。雑草を炊き、虫を食う。生きた人間でも傷口は爛れ、腐り、あっという間に蛆が湧く。ジャングルに動物の幻影を見てはボロボロの体からは考えられない力で駆け出す。自らの血を吸った蛭をクチャクチャと食らう。しまいには、腐肉に湧いた蛆が白米に見える。

そんな中で、人が正気を保つことは難しい。

飢餓が突きつける究極の命題は食人だ。飢えに負けた餓鬼の目には、同胞すら獲物にしか見えない。ただ目の前の餌のために、干乾びた体で幽鬼のように彷徨っていた敗残兵たちが色めき立つ。その姿は無惨を通り越して奇怪でさえある。同じ人間の姿とは思えない。けれども、彼らは決して特別な存在ではないのである。

鳴神は囮として使い捨てられた死兵の生き残りである。部下を皆殺しにされ、再度小隊を任されたとき、彼の生きる目的はただ部下を生かすことにのみ先鋭化されていく。最後にはただひとりの部下を生かすためだけに瀕死の体を動かし、朦朧とする意識の中で思考し続ける。その生き様は感動的などという浮ついた感想を許さない。

姫山は頑健な体と精神力を持ったヤクザあがりの兵士である。その行動力と独特のユーモアで仲間たちを助け、皆が前進するための原動力であり続ける。彼もまた、思い定めている。その決意が彼を一層強靭にする。鳴神とは180度違ったベクトルでその生を使い込んでいく。それはあまりに壮絶で哀しい決意である。

彼らの思いを一身に受けることになるのが、八木沢という若い初年兵である。彼は同胞らが共食いを演じるという突き抜けた現実を前に、若者らしい潔癖をもって死を覚悟する。身をもって信じ難い地獄を味わい傷付いた肉体は、自らの力だけでは生き続けられないほどに衰弱していく。頭髪は抜け落ち、肩には蛆を飼っている。

彼らは時代に翻弄されながらもそれぞれに自覚的に自らの道を歩んでいく。そんな人間の尊厳を賭けた生のありようが、情に流されないストイックな文体で活写される。確かにこの物語は暇潰しに楽しむには向かないかもしれない。軽い気持ちでページを開くには痛すぎる。けれども、決して読み難い本ではない。

そして、読む価値のある本でもある。

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comment - コメント

TBありがとうございました。
りりこさんの仰るように、テーマの重さに対して、決して読みにくい作品ではなかったところが、この作品の価値を高めていたように思っています。
是非こちらからもトラックバックさせて頂こうと思ったのですが、今エラーが出て上手くいかない状況です。直り次第TBさせて頂きます。

めありさん、いらっしゃいませ。
エントリー本文では触れませんでしたが、めありさんがブログで書かれているように、米兵の視点を導入したこともこの本の「わかりやすさ」に繋がっているのでしょうね。その辺りがやはり戦争を知らない世代の作家らしい着眼なんだと思います。

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