枡野浩一『石川くん』(集英社文庫)

books070426.jpg枡野浩一『石川くん』を読んだ。

石川くんというのは、石川一くんのことである。筆名でいえば啄木、『一握の砂』のあの啄木だ。帯を糸井重里なんかが書いていて何かあるなと思っていたら、どうやら「ほぼ日刊イトイ新聞」で連載していたものらしい。ほぼ日はたまに見ているのだけれど、具には読んでいないものだからまったく知らなかった。

だから、暇潰しに連載の内容だけ読めればいいという人は、買わなくてもほぼ日で過去の連載を探せば読めてしまう。ただし、連載と本の違いはいくつかあって、まあ買っても損はない。まず、朝倉世界一のイラストがふんだんに盛り込まれている。これはかなりのアドバンテージだ。挿絵がこれほど効果的な本も珍しい。

もうひとつ大きいのは巻末の「石川くん年譜」で、著者なりの視点と文章で構成された啄木の生涯がダイジェストで紹介されている。ただの無味乾燥な年譜ではない。ちゃんと著者らしい読み物になっている。ここでもマスノ短歌化された啄木の歌が随所に挿入されている。オマケというにはずいぶんと手が込んでいる。

さて、今「マスノ短歌化された」と書いたけれど、要するにこれがこの本のウリである。90年以上前の歌人石川啄木の歌を、イマドキの歌人枡野浩一が詠み直す。たとえば、帯で紹介されている作例を挙げればこんな感じだ。「一度でも俺に頭を下げさせた/やつら全員/死にますように」…なかなかに素敵である。

もちろん、この本は歌集ではない。読み物としてのメインはエッセイで、これは著者が石川くんに宛てた手紙という体裁をとっている。これがまた、啄木をよく知らない人にとっては衝撃の内容で、油断していると腹筋を痛めるくらい可笑しい。何しろ、その歌風からは想像もできないような、とんでもないダメ人間ぶりが暴露されている。

ざっくりといえば彼は完全な生活破綻者で、「わが生活楽になら」ないのは実は働いてなかったからなのである。しかも、北国に親と妻子を置いて上京し、仕送りもせず借金を重ね、その上で遊女と遊び呆けるという筋金入り。無駄にプライドは高いし、現実は見えていないしで、社会不適応も甚だしい。

読めば読むほど素行は最悪だし内面的にも相当に問題がある。ところが、どうも彼は人に嫌われてはいないのである。そして、不思議なことに、読んでいるこちらまでが、不思議と啄木という愛すべきダメ人間に愛着を覚え始めていることに気付く。どうしても憎めないのである。それは20代の若者の素が見えるからかもしれない。

著者の筆致は軽妙洒脱ながら、歯に衣着せぬ書きぶりで、決して啄木の素行の悪さを庇い立てしたりしない。お笑い風にいうなら、イジってイジってイジり倒す。そして、ベテラン芸人に巧くイジってもらった若手芸人がブレイクするように、一方的に著者にイジられる今は亡き石川くんが次第に愛しく思えてくるという仕掛けである。

さらに巧妙なことには、口語短歌自体にも魅力を感じるように仕組まれている。啄木という類稀なキャラクターをダシに、結局は短歌の面白さを存分に伝えている。今や口語短歌は世に溢れている。インターネットの普及は短歌界にも漏れなく影響を与えたらしく、ネット短歌と呼ばれる作品たちが引きも切らず発表されている。

その牽引力のひとつに、著者辺りも数えられるのかもしれない。

もちろん、こうした潮流には否定的な見解も少なからずあるだろうし、実際ツマラナイ作品が多いことも事実だろうと思う。ネット上に散見される素人小説の多くが読むに耐えないように、短歌だってそうそう誰もが巧く詠めるわけではない。ただ、敷居をある程度下げ、裾野を広げることが業界を豊かにすることはあるだろう。

あるいは歌人は育たずとも、良き鑑賞者は育つかもしれない。良さを認め、愛でてくれる人あっての芸術である。その意味で、著者のような才能が新しい世代を取り込み、糸井重里のような前時代の仕掛け人が、それを面白がってひと役買うという構図は、好もしいものだと思う。面白いものはやっぱり残り続けて欲しい。

それにしても、啄木のキャラ立ちは半端じゃない。

related entry - 関連エントリー

trackback - トラックバック

trackback URL > http://lylyco.com/cgi/mt/mt-tb.cgi/185

comment - コメント

コメントを投稿

エントリー検索