枡野浩一『ショートソング』(集英社文庫)
枡野浩一『ショートソング』
を読んだ。
ぼくはまったく知らなかったのだけれど、どうも短歌の世界ではかなり有名な人らしい。ということで、ショートソングというのは、いい加減すぎる短歌の英訳である。こんなタイトルからも著者の物腰の軽さが伺える。とにかくフットワークが軽い。言葉の選び方も、話の運び方も。
繰り出される言葉は、短歌も含めて一見酷く無造作だ。けれども、それは外見だけの話である。本当に無造作なだけでは、これほど心に引っかかる並びにはならない。ただありがちな青春物語になってしまう。そうならないところが著者の言葉の力だろう。その意味で、この本は正しく文藝している。
ハーフで美系のモテない大学生、国友克夫と、奔放な男の色気でモテまくる歌人、伊賀寛介。視点を交互に移しながら物語はふらふらと進む。少なくとも恋愛をモノサシにする限り、国友と伊賀の格差は歴然としている…かに見える。これが、そうともいえなくなってくる辺りが面白い。
国友は最初から素直だとか素朴だとかいう美徳に溢れた真に愛すべき人間である。普通に読んでいると、彼が実はイケメンだということを忘れてしまうほどだ。そのファンタジックなまでのピュアさはいっそ清々しい。ただ、彼に物語的な意外性はまるでない。ほとんど狂言回しのような存在である。
一方の伊賀は、物語の進行に合わせてくるくると印象を変えていく。最初はいけ好かない男だったはずが、次第に愛すべき男に見えてくる。国友が触媒となって、余計な皮が剥がれていく。そして最後には、ふたつの視点がどちらもピュアな精神の表裏であることに気付かされる。
要するに、国友の青春物語、もしくは成長物語のような顔をしているけれど、どちらかといえば、伊賀の物語だということだろう。ほとんど美男美女しか出てこないような非現実的な世界の中で、気付けば一番人間臭く、恰好良く、情けないキャラクターになっている。この辺りの運びは大変に巧い。
最後の章は、国友と伊賀の短歌で締め括られる。
それぞれの現在地が伝わってくる、面白くて解かりやすい歌だ。ここまで敢えて触れなかったけれど、この作中で引用される数々の短歌こそがこの著者の面目躍如たることはいうまでもない。短歌の作者はばらばらなのに、絶妙に配置され、挿入されることで、物語の一部として作品の屋台骨を支えている。
何よりもこの小説の特異な点は、率直に「今」を表現する手段として短歌がとても魅力的に描かれているところにある。だいたい、良い若いもんがこぞって五七五七七を捻り出している図というのは、それだけでなんとも可笑しい。可笑しいけれど、どこか羨ましくもある。
読んでいる内に詠みたくなってくる。
『あしたのジョー』でボクシングに目覚め、『キャプテン翼』
でサッカーを始め、『スラムダンク』
でバスケにのめりこむように、この『ショートソング』
や『かんたん短歌の作り方』
で短歌に開眼するというのは大いにある話だろう。実際、すでに著者プロデュースでデビューを果たした歌人もいるようだ。
それでは最後に一首…といきたいところだけれど、まるで言葉が形にならない。
どうやらピュアな国友君と違って、ぼくに歌の才はないらしい。
【関連リンク】
・枡野浩一公式サイト『ますので』
・枡野浩一のかんたん短歌blog
posted in 07.02.28 Wed
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