三浦しをん『秘密の花園』(新潮文庫)

三浦しをん『秘密の花園』(新潮文庫)三浦 しをん『秘密の花園』を読んだ。

このタイトルで女子校モノとくれば、誰しもがなにがしかのイメージを持つに違いない。思春期、自意識、壊れ物、恋愛、性、潔癖、自己陶酔…気だるくて危うい、甘いようでシビアな閉じた世界。本を開くと、そんな期待通りの世界が広がっている。ありがちといえばありがちだし、語り口が優れて際立っているわけでもない。なのに、どこか気になる。引っかかる。

それは登場する女子高生たちが、あまりに解かりやすい「若気の至り」を演じて見せるせいだろうか。ぼくは男で、高校は男子校だった。この作品の舞台とは対極の青春時代を送ったといっていい。それでも彼女たちの自意識やそこから零れ出る言葉には、つつかれたくない過去の自分を見出してしまう。もちろん、似たようなことがあったわけでも、したわけでもない。

そもそもぼくの高校時代などは、鬱屈するだけのたいした理由もなく、ぼんくらなりに平和で、特筆すべき屈折など起こりようもなかった。だから、いかにも思春期的な感受性の発露や、大人の世界との断絶感というのは、ある意味で憧れの的だったのである。そして、そんなポーズの中に生きたがっていた過去の浅はかな自分を思って今の自分は苦々しく思うというわけである。

おそらくその手の妄想の源流をたどると、大抵は先人が残したフィクションに行き当たる。少なくともぼくの場合はそうだ。実体験などない。文庫のあとがきにも挙げられているけれど、ぼくが真っ先に思い浮かべたのは吉田秋生の漫画、『櫻の園』である。漫画はもちろん何度も読んだし、実写化された映画版“櫻の園”だって何度も観た。要するに好きなのである。

そしてこの小説は、妄想の思春期のありとあらゆる要素が、存分に詰まった作品なのである。大人の気持ちで読むなら、それは半頁毎にツッコミを入れなきゃすまないような、あまりに青臭い青春劇である。つい、そんな気持ち社会に出たらいっぺんに吹っ飛んじまうよ、なんて余計な口をはさみたくなる。それこそがこの手の本の醍醐味といってもいい。

もちろんイマドキらしいエピソードもちゃんと効いていて、古典的な中にも一筋縄でいかない時代の息吹が感じられる。淡々としながら、かなりセンセーショナルなエピソードもある。トラウマ系男性不審の美少女那由多が、その素質を開花させて不埒な痴漢を撃退するシークエンスなど、酷く生々しくて清々しさの欠片もない。この辺りのリアルさがまた痛い。

どこか生硬さすら感じる淡白な文章には、けれども、剥き出しの、生々しい痛みが溢れている。それは否応なく生きることの痛みであり、人との関わりが生む不可避の痛みである。それを適当にうっちゃって軽く受け流したり、忘れた振り、気付かない振りをしたりする。それが処世術というものだし、自分がヒーローやヒロインではないと自覚することでもある。

彼女たちはそのほんの少し手前に立っている。

だから、苦しいはずのその場所をぼくたちはつい羨んでしまうのかもしれない。


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吉田秋生『櫻の園』(白泉社文庫)
中原俊監督“櫻の園”

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