冲方丁『マルドゥック・ヴェロシティ』[全3巻](ハヤカワ文庫)

冲方丁『マルドゥック・ヴェロシティ』[全3巻](ハヤカワ文庫)冲方丁『マルドゥック・ヴェロシティ』を読んだ。

この若い作家に感じられるポテンシャルの高さは凄まじい。情念と技術の融合を相当に高いレベルで実現している。表面的には酷く荒唐無稽なSFアクション小説である。肉体に特殊な改造を施した超人たちが紅白に分かれて常軌を逸した戦闘を繰り返す。ひと言でいえばそういう話だ。

これが読み始めるとページを閉じられなくなってしまう。

この小説には前作がある。『マルドゥック・スクランブル』といって、本作の未来を描いている。そこで主人公たちの好敵手として立ちはだかるディムズデイル・ボイルドという男が、この作品では主役ということになっている。重力を自在に操る元戦闘機乗りという設定だ。

前作で彼は異常にストイックなヒールを演じている。それでいて、満ち足りない何かを希求し続けているようにも見える。そんな人間味を時折垣間見せる。その由来が本作の主軸となっている。再び過去の悲劇は描かれる。けれども彼は決して通り一遍の悲劇のヒーローではない。

彼の悩みは、実は現代人のごくありふれた悩みそのものである。

生の目的がただ生き延び、種を存続させることのみに止まらなくなったとき、人は生きる実感を失ってしまった。何のために生きるのか、生きることで自分は何を欲しているのか。自分が生きる意味とは何なのか。青臭いけれど、切実な問いである。

ボイルドはただ戦闘の中にのみ、その何かを辛うじて見い出している。けれども、彼は得たいものの幻影を追いながら、ボロボロとその何か失い続けているように見える。戦闘に没入すればするほど、人間らしい生の実感を失い、ストイックな戦闘マシンに近付いていく。

その痛々しい矛盾が通奏低音となって、この物語全体の印象を決定付けている。重苦しい空気が常に世界を取り巻いて離れない。一方で、息をつく間もなく展開される奇想に満ちたアクションシーンや、気の効いたセリフの数々が、すこぶる高いリーダビリティを担保している。

架空の未来世界を構築するために鏤められた情報の断片、そこに付けられたあらゆる名称、紡ぎだされるひと文字ひと文字が著者のセンスの確かさを物語っている。これほどに確固とした世界観を、ほとんど説明らしい説明をすることなく感得させる腕は瞠目に値する。

もちろん、これをまったく瑕のない作品だとは思わない。

たとえば、前半頻出する箇条書きのような文体は、小説としていささか馴染み難いものだ。けれどもこの瑕瑾を、ぼくはさしたる問題だとは思わない。これが独特のテンポやスピード感を生んでもいるからだ。やり方は少々粗雑かもしれないけれど、確かに効果は上がっている。

また、明確に色分けされたキャラクターたちや俯瞰される世界観に、過去のエンターテイメントの影響を見ることは比較的容易だ。多くの人が自分の知っている過去の物語に似たような風景を見るだろう。けれども、それは著者のオリジナリティを損なうものではまったくない。

ちゃんと彼の言葉でしか語り得ないことが語られている。

実は、前作を読んでいれば、この物語のキーとなる事件の帰結は、すべて事前に分かってしまう。ラストは予想を超えているものの、伸びた枝の先にどんな実がなっているかは予め分かっている。だから本当に注視すべき事柄は、すべて過程で語られるディテールにこそ込められている。

これほど密度の濃い小説に出会うことは、なかなかできない。

最後に実を食べる手段として言葉を重ねるのではない。重ねられたひとつひとつの言葉が果実そのものであり、その集積によって世界を語り、人間を語ろうとしているのである。もの凄い力技である。思うに任せない内面を物語に変え、あまつさえ世界を立ち上がらせる。

ジャンル小説に閉じ込めておくべき作品ではない。

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