冲方丁『マルドゥック・スクランブル』(ハヤカワ文庫)

冲方丁『マルドゥック・スクランブル』(ハヤカワ文庫)冲方丁『マルドゥック・スクランブル』を読んだ。

全3巻からなる長編SF作品だ。「今ここにいる」意味。「わたし」である意味。流行らない自分探しの言葉をリフレインしながら物語は進む。著者の言葉を借りるなら、これは「少女と敵と武器についての物語」である。

正直にいえば、ぼくは「少女」が主人公というだけでうんざりするようなところがある。読む前からその属性にある種のステレオタイプを見るからだ。

家庭不和、トラウマ、性、ドラッグ、死…。

もう、古典的とさえいいたくなるラインナップ。これらの順列組み合わせで形作られる少女像に、ぼくの感性はほとんど麻痺しかけている。つまり、こんなのはただの初期設定に過ぎない、キャラクター造形でもなんでもない、と思っている。そして、この物語の主人公バロットもその例に漏れず、「古典的少女像」の域を出てはいない。

そして「敵」。これは解釈を広げれば広げるほど漠然としたものになってしまう性質のものだ。本当の敵は少女を食い物にする社会そのものだとか、実は己の心こそが一番の敵だとか。ここではその種の話はひとまずおいて、極々直接的な敵についてだけ書いておく。

彼の名はボイルド。彼が背負っている過去もまた、魅力的な敵にありがちな典型のひとつといえる。そして、だからこそ主人公との間に一筋の心の交流があり得るという流れも実に古典的だ。ぼくとしては『北斗の拳』に倣い、「宿敵」と書いて「とも」と読みたいくらいである。

こんな具合に、主要キャラが一種のステレオタイプであるにも関わらず、『マルドゥック・スクランブル』は十分以上に魅力的で個性的な作品だ。たとえば、著者の尋常ならざる語りの力は、2巻から3巻で描かれるカジノのシーンに特に顕著だ。こんなSFは想像を超えている。そして、ここに出てくるスピナーとディーラーこそ、この物語の中で最も魅力的なふたりだとぼくは思っている。

けれども、物語最大の魅力はなんといっても「武器」の描き方にある。もちろんただの武器であるわけはない。それの名はウフコック。「煮え切らない」という意味の言葉をその名に持つ武器が、殆どこの物語のオリジナリティを一身に背負っているといっていい。この文字通り最強の「武器」を得て、『マルドゥック・スクランブル』は平凡な美少女SFの域を軽々と超えることに成功した。

少女と敵と武器の物語。

それはとても骨のあるエンターテイメントだった。


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