大槻ケンヂ『リンダリンダラバーソール』(新潮文庫)

大槻ケンヂ『リンダリンダラバーソール』(新潮文庫)大槻ケンヂ『リンダリンダラバーソール』を読んだ。

ついにオーケンがバンドブームを書いた。個人的には80年代後期に勃興したこのブームにさしたる思い入れはない。バンドインフレを決定付けたいわゆる「イカ天」の頃、ぼくは中学生だった。バイトに明け暮れ、アングラに浸かるには幼く、住んでいる土地も辺境に過ぎた。

経済原理に乗ってアングラカルチャーはメインカルチャーへと飛翔した。その節操のなさは才能の有無を超えて若者たちに夢を見させ、粗製濫造の末にブームを短命にもした。派手で泡沫的な狂騒の後には、悲喜こもごもの人間模様が長く糸を引いている。

筋肉少女帯の一員として狂騒の真っ只中にいたオーケンが、自らを狂言回しにその糸を手繰ってみせる。これは、そういう趣向の小説である。エッセイではないし、事実をありのままに描くのでもない。ひとりのバンドマンの目を通して見た、ブームへの感傷であり郷愁である。

若者は空虚な表現欲をもてあまし、悶々とする。やってやる、と拳を振り上げるも、やるべきことがない。そして、奇妙な服を着、奇怪な詩を詠い、無意味に過激なパフォーマンスを繰り返す。そんな彼らが訳も分からないまま、突如キラキラと輝く桧舞台に立たされる。

バンドブームというのはそういうものだったんだろう。

狂騒は闇雲に加速し、ひた走る彼らはいつか梯子をはずされるだろうと感じながらも、既に止まることも引き返すこともできない。そして、宙を舞った彼らの落ち着く先は様々である。オーケンはそのひとつひとつを拾い集めながら、彼らの生き様を肯定して回る。

著者は生来のロマンチストなのだろう。

時に情けなく愚かに見える彼らの生き様を、いっそしみじみと愛しているのかもしれない。ブームを乗り切り大成する者、居場所を見付け軟着陸に成功する者、地面に叩きつけられ転がされても立ち上がろうともがく者、彼方へ霧散し見えなくなる者…。

キレイ事ではないからこそ、そこにはロマンティシズムが必要なのだし、ロックというのはそういう痩せ我慢の音楽でもある。オーケンは今でもロックしている。ロマンティシズムに生きている。キレイ事ではないロマンティシズムを生きている。

そしてバンドブームは確実に著者の一部になっている。

泣き笑いの青春群像につい胸が熱くなった。

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SuperHighBlowgの真倉野です。トラックバックありがとうございます。ブックレビューよかったです。本を読んだ自分も楽しめました。

トラックバックありがとうございました。
鋭いブックレビューに感心しながら読ませて頂きました。

「オーケンはロマンチスト」で、「ロックというのは痩せ我慢の音楽」
という指摘は私も同感です。

この本は、作家・大槻ケンヂよりも、
ロッカー・大槻ケンヂが書いた一冊という感じが私はしました。

彼の自伝的小説である『グミ・チョコレート・パイン』よりも、

私はこの本に熱いモノを感じました。

真倉野さん、コメントありがとうございます。
楽しんで読んで頂けたなら本望です。ブックレビューには、読んだ人同士が人の感想や意見を楽しむという側面もあるような気がします。ぼくは、本選びのためよりもむしろ、読み終えた本について他人の評を読むことが多いかもしれません。

月草小屋さん、コメントありがとうございます。
鋭いなんていって頂いて恐縮です。
仰るとおり、普段の小説やエッセイとは少し違った雰囲気もあって、ロッカーとしての思いが強いせいかな、とぼくも感じました。
『グミ・チョコレート・パイン』の方は、まだグミ篇しか読んでいませんが、あちらの方がきっと作家オーケンらしい作風なんでしょうね。

 真倉野です。コメント確認しました。何回もやってすみませんでした。自分も読み終わった本の書評を楽しむタイプです。

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