菅浩江『プレシャス・ライアー』(光文社文庫)

菅浩江『プレシャス・ライアー』(光文社文庫)菅浩江『プレシャス・ライアー』を読んだ。

ヴァーチャルリアリティもののSFとして愉しむというよりは、それを前提として創造やオリジナリティや存在意義について考えるための作品だろうか。VRと非VRの区別が付かないレベルにまで技術が発達したとき、非VRに生き続ける意味はあるのか?

作中のVRはまだそこまで完璧なものじゃない。例えば“マトリックス”のように脳を直接刺激する方式ではないのである。精々特殊なスーツで触覚を物理的に刺激するくらいで、基本的に味覚や嗅覚までは再現できない。

そんな、今よりも少し先の過渡期的な時代に、「創造性」を求めるキャラクターたちが、自らのアイデンティティを賭けてぶつかり合う様子が、多少の違和感とともに描かれていく。慣れた人なら違和感の正体は読み始めて間もなく知れるだろう。

もちろん、違和感を持ったまま読み進むという人もいるだろう。そういう人にはそういう人のための驚きがちゃんと用意されている。一方、正体を予想した人が次に考えるべきは、何故そんな使い古された手法をとったのかという点になるだろう。

ここのところの必然性は、ちょっとばかり掴み難い。多少スレた読者なら、この予想の先にドンデン返しを期待して読んだかもしれない。すると、肩透かしを食らう。問題はたぶん、ラストで明らかになる悩みの正体だろう。

その意味でオチの弱さは瑕にならない。

むしろ、あの予定調和は怖い。それは元々ぼくたちが悩むべき悩みだからだ。そして、その種の悩みを悩めること自体が、ぼくたちの人間らしさを担保していたはずだからだ。あれはだから、高度な情報処理能力を備えたぼくたちの姿なのかもしれない。

物語は思索の始まりを示して終わってしまう。

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comment - コメント

お寄りいただき、ありがとうございました。
拝読させていただきました。そして納得。最後の1行が印象的です。
機会がありましたらまたおいでくださいませ。

きしさん、コメントありがとうございます。
ぼくはそもそもSF読みじゃないので、この作品のSF的な立ち位置はよく分かりません。でも、何故かきしさんのところで紹介されている菅浩江のSF系作品3冊はぼくも読んでいたりします。この作者が特別気に入っているという意識はないのに不思議なものです。
新城カズマ『サマー/タイム/トラベラー』やハインライン『夏への扉』も最近読んだばかりなので、またきしさんの記事も読みに伺おうと思います。

TBとどうもです。
文庫版がでたんですねv

菅浩江さんは好きな作家さんです(^^)

こちらからもTBさせていただいのですが、
2回送ってしまったようで。。
申し訳ないです。1つ削除いただけないでしょうか?

今後ともよろしくお願いいたします。

ユキノさん、コメントありがとうございます。
なんというか、この著者は内面描写に女性らしさを感じさせる作風だなぁと思います。まあ、女心の分からない男のぼくの印象なので、的外れな感想かもしれませんが。。。

TBの件、了解しました。

こちらこそ、今後ともよろしくお願いします。

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