北村薫『街の灯』(文春文庫)

北村薫『街の灯』(文春文庫)北村薫『街の灯』を読んだ。

ずいぶんと久々の北村薫だ。たぶん『盤上の敵』以来だと思う。さほど熱心な読者ではないけれど、『空飛ぶ馬』に始まる円紫さんと私シリーズは毎度楽しみに読んでいた。今作はその円紫さんと私シリーズを思わせるキャスティングの新シリーズだ。

舞台は昭和初期のいかにも不安定な時代。華族1歩手前のお嬢様英子と、運転手のベッキーさんこと別宮が、日常に違和を見出し快刀乱麻を断つ趣向である。この英子とベッキーさんの謎への関わり方がなんともハイレベルなのだ。

表面的な探偵役は英子である。彼女は聡明で、好奇心が強く、また、冷静に自他を見詰めるだけの目も持っている。正しく謎を見つけ出し、推理の糸口を掴み、論理を展開させる様は名探偵の名に恥じない。ものの見方は最早14歳のそれではない。

一方のベッキーさんはあからさまに口を挟んだり、推理を披露したりはしない。けれども、実にさりげなく英子を正しい道へと導いていくのである。この趣向は新しい。探偵モノとてして、かなり斬新なコンビネーションだと思う。

昭和初期の風俗描写がイチイチ丁寧なのも北村薫らしい。

例えば、英子の叔父が吸っているたばこはエアーシップという。調べてみると、明治43年から昭和12年まで販売されていた銘柄で、山並みに飛行船を描いたパッケージは、デザインというよりは一幅の画といった方がいい。

もちろん、そんな煙草のパッケージを作中でわざわざ描写しているわけではない。けれども、こうした小物がまた、それを持つ人のキャラクターに合っているような気がするのである。これを適当に選んだはずはないだろう。そう思わせる。

巻末に並んだ参考資料の量もなかなかのものだ。

あるエピソードに出てくる夜店の配置が、実際の史料に拠っているのには驚いた。こんなものは適当に創作してもよさそうなものである。それをわざわざ史料にあたる辺り、推理作家としての矜持と稚気が感じられる。

今のところ、ベッキーさんの描写はずいぶんと控えめだ。キャラ立ち自体は英子の比ではない。にも関わらず、その類稀な能力を存分に発揮する場面はほとんどないのである。そもそも来歴自体がまったく不透明なのだ。

ここまで出し渋られるといかにも気になる。

このシリーズ1作目の見所はベッキーさんよりも英子だろう。その世の中を見る目の確かさや、あまりに素直な感受性は、この物語における必然である。この主人公の性質が、本作のラストを飾る同級生の人生観に強力なコントラストを与えている。

それはミドルティーンの思考としては早熟に見えるし、恐ろしくもある。ただ、知る由もない階級社会の上流を思えば、さもありなん、という気にもさせられるのだ。こうした歪みを無理なく描くための時代設定でもあるのかもしれない。

ともあれ、続刊ではベッキーさんの活躍にも期待したい。

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comment - コメント

TBありがとうございました。
lylycoさんの書評を読ませていただいて、言い方がふさわしくないかもしれませんが、ちょっと、感動しました。きちんとしていて読みやすいのに、的を外さないところが。
こちらを参考に、私も本を読んでいこうと思います。

usanekoさん、コメントありがとうございます。
なんだか褒められてしまって照れくさいですが、こんな素人書評でも何かを感じて頂けたなら光栄です。
ぼくの場合、本は電車のお供で、あまり沢山読む方ではありません。更新はのんびりですが、よければ今後ともよろしくお付き合いください。

TBとコメント、ありがとうございました。

北村さんは、謎の方もさることながら、この昭和初期の時代を書きたかったのかな、とも思います。
ただ戦争に向かっていくので、ちょっと読んでて不安感があるんですよね。

ベッキーさんの素性は、次で明かされるでしょうか?
やっぱり気になります。

びー球さん、コメントありがとうございます。
仰る通り昭和7年のいわゆる"満州事変"辺りから、日本は戦争へと突き進んでいくわけですが、大戦まではまだ十余年の時を要します。その頃には英子も20代半ばということになりますね。北村薫がこのシリーズをどこまで構想しているのかは不明ですが、戦争までは射程に入っていないような気がします。ただ、軍国主義化していく空気みたいなものは既に描かれていますね。

TBありがとうございます。
lylycoさんの書評を拝見して、私も「エアーシップ」を検索してみました。こんな素敵なパッケージだったとは……。北村薫さんのこだわりが感じられますね。

あくあさん、コメントありがとうございます。
今回はたまたま「エアーシップ」という名前が気になって調べてみたのですが、こうした小道具にまで気が配られているのかと思うと、読む愉しみが膨らみますよね。単に当時のことを調べました、というレベルに留まらないところに深みを感じます。

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