いしいしんじ『麦ふみクーツェ』(新潮文庫)

いしいしんじ『麦ふみクーツェ』(新潮文庫)いしいしんじ『麦ふみクーツェ』を読んだ。

粗筋だけを思い返してみるとずいぶんとシビアなお話だ。「ねこ」と呼ばれる少年の人生はなかなかに甘くない。その風当たりの強さは、苦難の人生といっていいかもしれない。

ところが、不思議と悲壮感はない。

それがこの著者の特徴だと思う。一見不条理に見えるエピソードを独特のリズムで詩情豊かに語り、人が生きることの悲しみや可笑しみをじわじわと描き出す。条理と不条理の境界は巧みにぼかされて、知らない間に、童話的とも寓話的ともいえる心地好い世界に引き込まれてしまう。

とん、たたん、とん

麦ふみのリズムはいつしか音楽となって世界を満たす。麦ふみにいいも悪いもない。素数にとり憑かれた数学者、三千年の記憶を持つ生まれ変わり男、盲目のボクサー、心を読んで詐欺を働くセールスマン、雷に打たれギクシャク歩く用務員、先天性全色盲の娼婦の娘…。全て人々の上に等しく祝福の音は奏でられる。

やがて少年は自分たち家族の過去を知る。

辛いことも苦しいこともある。それでもすばらしいと思えるものはきっとある。黄色の大地。麦ふみクーツェ。「ねこ」と「みどり色」の合奏に、ぼくの胸はいっぱいになってしまった。

これ以上ない幸福な傑作。

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