北森鴻『写楽・考 蓮丈那智フィールドファイルIII』(新潮文庫)

北森鴻『写楽・考 蓮丈那智フィールドファイルIII』(新潮文庫)北森鴻『写楽・考 蓮丈那智フィールドファイルIII』を読んだ。

こうしてみると、民俗学と探偵はよく似ている。民俗学は残された痕跡から遠い過去を推理する。探偵は残された痕跡からそれほど遠くない過去を推理する。いずれも、確実な答えなどない。より蓋然性の高い答えを導き出し、知り得るすべての手掛かりについて整合性が保たれているかどうかを検証する。齟齬がなければ納得する。違いがあるとすれば、民俗学のそれはあまりに対象が古く痕跡が朧である。故に、答えの幅が幾分広いかもしれない。とはいっても、探偵行為がどれほど真実に近いのかも所詮は検証不可能な場合が多い。

そんな民俗学と探偵という行為をあの手この手で繋いで、貼って、絵にして見せる。これはたぶん、そういうシリーズである。「憑代忌」では主人公らの大学で起こる不可解で危ない出来事と、とある旧家で起こる殺人事件とが同じ民俗学的モチーフを共有している。「湖底祀」では民俗学が犯罪の隠蔽に利用され、鳥居に関する考察がそれを暴く契機になっている。「棄神祭」はいわゆるハイヌヴェレ型神話を、これまた由緒あり気な家に戦後復活した祭祀と絡めて、過去の犯罪の真相を暴くという趣向になっている。

最初の2編は、正直少し食い足りない気がしないでもない。話が短いせいもあろう。「憑代忌」にもっとじっとりねっとりとした動機形成の過程があれば「まさか、そんな理由で!」という驚きもあったろうに、思わず「そんな理由かよ!」というツッコミに近い感想になってしまった。ことにワトソン役のミクニ君は憐れすぎる。「湖底祀」にしても、謎解きにそれらしいディテールと丁寧な伏線があれば、もっと素直に楽しめたかもしれない。ただし、この話、鳥居に関する考察部分が素人目には面白かった。

これらに比べると「棄神祭」はなかなかに充実している。話自体も少し長い。神が死んで豊饒を齎すというタイプの神話がモチーフとなっていて、作中の旧家に伝わる祭祀がこの種の神と結びつくことで過去の犯罪が解き明かされる。解決の糸口になったあるひと言について、読者が大団円の前に推理することはたぶん難しい。これを書くとネタバレに近いかもしれないけれど、読み終えてつい『犬神家の一族』を連想してしまった。この手のネタは無理のあることが多いのだけれど、戦争を通過することでリアリティを保っている。

さて、肝心の「写楽・考」である。これだけで他3篇ほどのボリュームがある。それに少々毛色が違っている。これが民俗学の思考を敷衍して美術史の新説を打つという実にエキサイティングな内容である。ファンサービスとしては、旗師・冬狐堂シリーズの宇佐見陶子がゲスト出演している。その彼女の采配で再現される絡繰箱が新説の要となるのである。タイトルを念頭に読み進めると、その狙いに気付いた瞬間、巧いっ!と手を打ちたくなるような面白い仕掛けになっている。ある有名なオランダの画家と繋がる展開がまたスリリングだ。

もちろん、問題の絡繰箱がフィクションの産物である以上、それを論拠とする説は物語の外に出るものではない。その意味では、高橋克彦が写楽の正体を描いて見せた『写楽殺人事件』と同様、フィクションの中でしか実効性を持たない新説ではある。けれども、何かひとつ新しい要素を補ってやるだけで、これほど痛快な説を紡ぎだせるのだともいえる。今後、高橋克彦や北森鴻が夢想したような発見が、絵画や民俗学のフィールドでなされないという保証はない。これこそが学問の最もロマンティックな一面だろう。

思えば、学問とミステリの面白さもまたよく似ている。


【収録作品】
・「憑代忌(よりしろき)」
・「湖底祀(みなそこのまつり)」
・「棄神祭(きじんさい)」
・「写楽・考(しゃらく・こう)」


【amazonリンク】
北森鴻『凶笑面 蓮丈那智フィールドファイルI』(新潮文庫)
北森鴻『触身仏 蓮丈那智フィールドファイルII』(新潮文庫)
北森鴻『写楽・考 蓮丈那智フィールドファイルIII』(新潮文庫)
北森鴻『狐罠』(講談社文庫)
北森鴻『狐闇』(講談社文庫)
北森鴻『瑠璃の契り 旗師・冬狐堂』(文春文庫)
北森鴻『緋友禅 旗師・冬狐堂』(文春文庫)

related entry - 関連エントリー

trackback - トラックバック

trackback URL > http://lylyco.com/cgi/mt/mt-tb.cgi/256

comment - コメント

コメントを投稿

エントリー検索