星新一『地球から来た男』(角川文庫)

星新一『地球から来た男』(角川文庫)星新一『地球から来た男』を読んだ。

角川からこれの単行本が出たのは1981年、文庫化されたのは1983年のことである。著者の作品が初めて本になったのは1961年、これより20年も前のことだからこれは比較的後年の作品である。ちなみにデビュー単行本の書名は『人造美人』、後の文庫化で『ボッコちゃん』と改題されている。初手からいきなりの大傑作である。神様の神様たる所以だろう。

26年も前の本が、まだこうして新装版となって発売される。そんな作家はそういない。しかも、いつ読んでも決して古びない。それは単に発想力の問題ではない。著者は作中から時代性を排除するため、あえて固有名詞や具体的な数字を描き込まない。寓話性が高いのもこのためだろう。お陰で時代を超えて世界中で愛読されることに成功している。

この本には17編のショートストーリーが収録されている。いつもながらシニカルなものやメランコリックなものが多い。それはどこか普遍的な人の感情に触れていて、心に小さな掻き傷を残す。たとえば表題作の男の哀しみは、生きていく中で多くの人が感じるだろう漠とした孤独と同根の哀しみである。ただの妄想と笑い飛ばすことはできない。

また「夜の迷路」は現代版「牡丹燈篭」のような話だけれど、幽霊譚というよりはひとりの青年が心の孤独を埋めようとする話になっているし、「あと五十日」は死を覚悟するよりも生きる覚悟をする方が大変だと思わせるような話である。「向上」など『DEATH NOTE』のキラのような、一方的な正義の暴走をさりげなく描いていてドキッとさせられる。

著者のシニカルな視線は富や権力に対してより痛烈だ。

「もてなし」でブルギさんという不思議な地位を得た男が、最後に支払わされる代償はあまりに大きい。「住む人」は富も名声も手にした老人が囚人のような暮らしを余儀なくされる話だし、「はやる店」はハッキリと富の凋落を予言して終わる。「ゲーム」ではうまくやった友人を羨んで二匹目の泥鰌を狙った男が手痛すぎるしっぺ返しを食らう。

この手の話はたとえば藤子不二夫Aの『笑ゥせぇるすまん』なんかと近しい。星作品は一歩引いた冷徹な視線と品のある演出のため、あの漫画ほどに過剰なブラックユーモアを押し付けることはない。けれども、物語の性質はとてもよく似ている。たとえ主人公に同情の余地があったとしても、結果として欲望に溺れてしまったなら容赦はしない。

こうした非情さは信用できる。おためごかしは効かない。

そんな中に時折心に沁みる話や、妙に考えさせられる話が混じっていたりもする。「包み」という画家の話なんかは、非の打ち所のない良い話である。こんな話ばかりだときっと食傷するのだろうけれど、こうして質の高い幸福の寓話が思い出したように混じっている。そこが好い。「疑問」なんかもずいぶんとロマンティックなラストである。

また「戦士」では安楽死という実にデリケートな問題を扱っている。一見荒唐無稽な展開から一転、すこぶる現実的で普遍的な問題を突き付けてくる。グっと踏み止まって考えを巡らせれば巡らせるほど、この不謹慎とも思える話が否定できなくなっていく。ショートショートにこれだけの題材を難なく盛り込んで見せる手腕はほとんど神域である。

久々に読んで改めて思う。星新一はやっぱり凄い。

これほどハズレがなく多作な作家など、ちょっと他にいるとは思えない。

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