麻生太郎『とてつもない日本』(新潮新書)

books070621.jpg麻生太郎『とてつもない日本』を読んだ。

何よりも意外だったのは、この本が掛け値なしに面白かったこと。それだけでも、麻生太郎という人の実力が知れる。これなら人気が出るのも当然だろう。アキバだなんだは関係ない。そもそも政治信条に関わる主義主張をやろうとすると、ズブの素人だって小難しいことをいい出すのが通例だ。その手のブログを見ていても大抵その例に漏れない。

ところが、この人はあまりに衒いのない文章で、そのクセしっかりと自己主張している。国際関係にしろ靖国にしろ、主張の背景が極めてクリアで分かりやすい。ややこしい問題にフィルターをかけて単純化する技術は相当なものである。ある程度枝葉が漏れることを恐れない態度はいっそ潔い。所詮真実などは藪の中なのだからこれは正しい態度だろう。

そんな単純な話じゃないんだよ、という人は沢山いるだろうと思う。けれども、現状を認識する契機となるのは、いつだって断片化した事実を知ることだろう。だとすれば、著者の主張する真実を知ることは、興味への扉を開くことになるかもしれない。無批判に鵜呑みにするのはどうかと思うけれど、これは貴重な現在の日本論だと思う。

この本が魅力的なのはひとつにはそのポジティブな志向のせいだ。

現在や未来を語るときは、悲観的になるのがイマドキのトレンドである。少なくとも大勢はそうなっている。その現状に著者は待ったをかける。日本はダメなんかじゃない、と。テーマはまるで違うけれど、その明快なポジティブ思考は梅田望夫のITに対する態度と似ている。麻生も梅田も、恐らくは戦略としてこうした表現を選んでいる。

戦略である以上は、うまく効果的な材料が並べられている。漫画好きを公言し、ローゼン閣下などと渾名されることすらうまく利用している。漫画やアニメが世界に誇るべき文化であるとかそんなことは決して本題ではない。ただの話の枕である。そして、オタク、ニートはもちろん、高齢化社会すら悲観すべき事態ではないといい切るのである。

もしかするとあるかもしれない可能性を、必ずあるといい切るのは勇気の要ることだ。それは過剰なオプティミズムと取られかねないし、事実、梅田望夫などは確信犯的アジテーターと捉えられている節がある。けれども、麻生太郎のいう「とてつもない日本」は、恐らくはそのままの意味で存在している。ただ人によって評価が違っているだけである。

いくら政の不備が取り沙汰されても、金の亡者が跋扈し潰しあっていても、うつ病患者やら自殺志願者が続々生産され続けていても、天下麻のごとく乱れる乱世とは程遠い平穏な日々は守られている。道端にゴロゴロと餓死者が転がっているようなこともないし、行き倒れの衣服金品を強奪して糊口を凌いでいるような人もこの国にはいない。

ランキングを付ければ、依然日本はお金持ち国家なのである。

もちろん、だからこのままでいいじゃないかという話ではない。この本の主張はその先にある。これだけの国家を運営してきた日本人には、それに見合うだけのノウハウがある。そして、今なお、先陣を切って新しい問題に直面しては乗り越えようともがいている。そうして蓄えられたナレッジはあまねく後続の同志たちに有益なはずだ。

それはすなわち日本の価値である。

その価値を輸出し、国際社会のリーダーとなれ。これはなかなかに魅力的な主張である。なんとなく誇らしい気持ちになる。今現在ぶち当たっている難問さえ、将来の糧となる。これはそういう主張である。ここまでくれば、否定するのは野暮というものである。ひとまずその気になってみることが大切だ。そう思わせてくれる。

なるほど、これは支持されてしかるべきキャラクターである。

次期首相の線があるなら、是非頑張ってもらいたい。

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