小路幸也『空を見上げる古い歌を口ずさむ』(講談社文庫)

小路幸也『空を見上げる古い歌を口ずさむ』(講談社文庫)小路幸也『空を見上げる古い歌を口ずさむ』を読んだ。

読み始めてすぐに想起したのは、朱川湊人の名前だった。『花まんま』で直木賞を獲ったノスタルジックホラーの旗手である。どこまでもノスタルジックな情景、突如日常に紛れ込んでくる奇怪な出来事、複雑な心を抱えながらも悪意の感じられない登場人物たち。そうしたものが、どこか口当たりの好い、優しげな語り口で物語られる。

次第に明らかになっていく、どうにもならない真実。不条理な哀しみに満ちた世界で、それでもなんとか生きていこうとする前向きな決意。ミステリ的なレトリックや、サスペンス要素をふんだんに盛り込みながら、地に足の着いた不思議を描く。これがホラーであるかどうかは別として、こうした要素がぼくに朱川湊人を思い出させたのだろう。

突如、周囲の人間が<のっぺらぼう>に見えるといい出した少年、彰。彼の父は20年前に家族を元を去った実の兄に連絡を取る。やっぱり視えてしまう兄、恭一が、<のっぺらぼう>に纏わる秘密を語って聞かせる。その昔語りが本編となる。高度経済成長期の閉鎖的な田舎町を舞台に、不思議な少年期の体験が訥々と語られるのである。

この多分にファンタジックで、極めて魅力的な導入部の謎は、序盤、読者を翻弄するように現実とファンタジーの狭間を揺れ動く。幻想譚に足を踏み入れつつ、なかなかそこに落ち込んでしまわない。この辺りの焦らし方は、デビュー作にして堂に入っている。<のっぺらぼう>について現実的な解釈の余地を残したまま物語は主観的に進んでいく。

外側からの視点を持たない物語は、そのために分かりやすい説明を与えてはくれない。この物語に無粋な探偵役はいないのである。これを、たとえば閉鎖社会を安定化する社会的装置だと捉えたり、ある種の病気や集団催眠のようなものだと解釈したりするのは読み手の自由である。この物語は最初から客観的事実というようなものに軸足を置いてはいない。

それはたとえば、民俗学で扱われるような世界といってもいい。その手の不思議を現代的な客観視点で翻訳してみたのが京極夏彦のような作家だとすると、この著者は向こう側の世界をその内側から描くことに終始する。だからこその一人称一人語りといっていい。民俗社会では普通に行われていたはずの昔語り。村の古老が子供らに聞かせた伝承の類。

語り部という文化を既にを失った時代の子供だったぼくに、こういった類の語りの記憶はない。たとえ口承の習慣が僅かに残っていたとしても、ぼくたちの世代の子供たちが素直にその手の昔話に耳を傾けることはなかっただろう。その癖、大人になって想像するそうした語りのイメージは、否応なく持ち得たはずのないノスタルジーを喚起する。

それはイメージの中にしかない、けれども、とてもリアルで切実な郷愁である。

そんな切実な感傷を文章に込める。その段階で、著者の企みは半ば成功したといってもいい。本当は知らないけはずなのに懐かしい、最大公約数的に蓄えられた、古き良き少年時代のイメージ。ぼくたちは、大人だからこそ感じられる、子供らしい冒険心と、葛藤と、謎に満ちた世界に心を遊ばせ、懸命に生きることができる。

もちろん、そこに描かれるのは決して優しいばかりの世界ではない。むしろ、理不尽で残酷で哀しみに満ちた世界である。そんな容赦ない現実にどう立ち向かい、どう生きていくのか。何を信じ、何を頼り、何を選び取っていくのか。そこに込められたメッセージは、確かに陳腐かもしれないけれど、決して馬鹿にはできないものだ。

この本は、決してノスタルジックなばかりの癒し本なんかではない。

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