斎藤美奈子『趣味は読書。』(ちくま文庫)

斎藤美奈子『趣味は読書。』(ちくま文庫)斎藤美奈子『趣味は読書。』を読んだ。

タイトルに騙されてはいけない。これは読書について書かれた本では、実は、ない。文庫の帯の惹句はこうだ。「あなたの代わりに読みましょう!」…読まれるのは、いわゆるベストセラー本である。売れているはずのベストセラー、何故か周囲の本好きに聞いても読んだという人がほとんどいない。きっかけはそんなことだったらしい。

取り上げられている49作品の内、ぼくは6作品まで読んでいる。これが多いのか少ないのかは分からない。ただ面白いのは、読んだ6作品の内5作品までは、親が知人より借り受けたか薦められて買った本だという点である。ぼくの親は決して読書家ではない。年に1冊読めばいい方だろう。これぞベストセラーのベストセラーたる所以か。

ともあれこの本、一応はベストセラー書評集ということになっている。確かにどこかで目にしたようなタイトルたちが並び、内容の紹介らしきものも書かれている。問題なのはその先だ。評論部分に入ると、途端に、主役が本ではなくなってしまう。ならば何が書かれているのか。主にはその本の読み手や書き手の分析、あるいは批評である。

実際のところ、内容はほとんど定型化している。特にイキイキと輝いて見えるのが、中高年男性を舌鋒鋭くやり込めるタイプの芸である。何やらフェミニズムの香りがプンプンと漂ってくる。そう思って他の著書を調べてみた。『妊娠小説』『モダンガール論』『紅一点論』『男女という制度』などなど。さもありなんといったところか。

ちゃんと「本、ないしは読書する人について」というまえがきを読んでいれば、この輝きの理由はより明確になる。連載誌の読者層を意識して「ときに挑発的だったり内輪ノリになっている点があるかもしれない」と著者自身が前置きしている。ご高齢の「インテリ」属性や「教養人」属性に過剰反応していることを、最初から白状しているのである。

だから、読みが一面的なのは、恐らくはわざとである。

たとえば、B・シュリンク『朗読者』を批評する段で「少年ミヒャエル、性にめざめる」と題した要約がある。簡潔に書けば、魅力的な36歳の女性が15歳の主人公の筆おろしをしてくれる、そういう挿話である。著者の感想は「まるで男の天国だな。」である。矛先を変えて、この女ショタコンじゃないのか、とかやるのは芸風に反するのである。

この辺り、芸としてそれなりに確立されている。アカラサマな我田引水すら芸の内といっていい。それに、ベストセラーの成分分析的な屁理屈がまた滅法面白い。49本もあれば多少の当たり外れはあるけれど、中にはオオッと感心するような洞察も混じっていたりする。ただし、ダシにされたベストセラー本を読んでみる気にはまったくならない。

賛否に関わらず、そもそも本に興味を持てない書評というのは本末転倒だ。

つまるところ、これはベストセラーを枕に、社会批評や文壇批評なんかを盛り込んだエッセイ集なのである。こういう本を書評として真面目に読んではつまらない。いわば話芸を愉しむ本である。毒舌とボヤキが同居する辛口話芸。ベストセラー分析という不毛。実は読書が好きに違いない著者の脱力の書。そう思って読むのがたぶん正しい。

そう思って読むと、まえがきからして大変に面白い。

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