志水辰夫『行きずりの街』(新潮文庫)

books070508.jpg志水辰夫『行きずりの街』を読んだ。

最近やたら平積みになっている。思わず手に取ってしまった。最近の作品ではない。「このミス」で1位になったのも16年も前の話だ。それが何故か今、俄かに脚光を浴びている。理由は分からない。書店では新聞に載った書評がPOPになっている。あのPOPは巧い。著者の本に惚れ、売りたいと思った誰かが仕掛けたのかもしれない。

もちろん、偶然生まれた潮流だという可能性もある。今ではインターネットを介してブームが伝播するなんてのは珍しい話ではない。ぼくもまたその流れにのっかったお陰で、こんなにも濃くてオヤジ臭くて、なのにとても面白い本に巡り会えたわけだから、ここは素直に感謝すべきだろう。ぼくにシミタツを教えてくれてありがとう。

そもそも冒険小説やハードボイルドといった類のジャンル小説が苦手だった。それはクールを気取る世の風潮に、ぼく自身が侵食されていたせいかもしれない。少し前なら「暑苦しい」といわれたであろう、こうした「熱い」作品が今また注目される。要するに、時代は巡るということなんだろう。まったく悪いことではない。

この物語は徹頭徹尾オヤジのロマンで満たされている。

高校教師が愛らしい女子生徒を見初め、卒業を待って結婚する。この設定だけでもう十分、お腹一杯である。なんと分かりやすい欲望の表出だろう。顰蹙を覚悟で書こう。この手のシチュエーションに萌えない男などそうはいない。自分よりもずっと若い女の子を自分色に染める。支配的な愛。それは馬鹿な男の尽きせぬ願望のひとつである。

もちろん、それで幸せに暮らしましたとさ、という訳にはいかない。ここが重要である。その後に平凡な生活などが続いては、すべてが台無しである。日常の訪れは夢の終わりを意味する。ここはひとつ、夢破れる前にふたりは引き裂かれねばならない。それも悲劇的な不可抗力によって。あるいは已むに已まれぬ苦渋の選択によって。

こうして、ありえたはずの幸福はより輝きを増し、欲望をエスカレートさせる。ロマンには是非とも有形無形の敵が必要なのである。物語はふたりが別れてより12年後に幕を開ける。40男の主人公は当然の如く元妻と再会する。立ち塞がる困難、すれ違う言葉、後悔、未練…種々雑多な負の要素が、すべて再燃する情熱のための焚付けとなる。

これぞ王道というものだろう。

男がなんとか再び女を手に入れようと言葉を尽くすとき、すべての言葉は虚空へと突き刺さり決して相手の心には届かない。互いに言葉を重ねれば重ねるほどに、溝はますます深まっていく。男はいつでも女に勝手な幻想を押し付け、期待する。女はそんな男の甘えたロマンに憤り、呆れる。依って立つ場所が違いすぎる。

けれども、言葉にならないところでは互いに何かを感じ取っている。ギリギリのところで心を寄り添わせたり、反発したりしている。それはあまりにもあやふやで、あまりにもいじらしい。そんな男らしくも情けない中年男と、まだ若いけれど多くを知ってしまった女とのコミュニケーションが、これでもかというくらい粘着質に描かれる。

もちろん、本筋には謎があり、サスペンスがある。離婚と同時に教職も追われた主人公は田舎で塾を開いている。その教え子のひとりが行方不明になる。少女の伯母に頼まれた主人公は、彼女の行方を追う内に、自分の過去にも関わる、あまりに救われない陰謀の影を踏むことになる。実に抜け目のない巧みなプロットである。

主人公の「私」と「公」、「今」と「昔」がすべて有機的に繋がっていく。一見できすぎているように見えて、無理な偶然に頼った展開なんかは思った以上に少ない。およそ「緻密」だとか「巧緻」だとかいう言葉とは無縁だろうなんて、勝手に決めてかかっていただけに、ここまで巧みな技を見せ付けられると平身低頭するよりない。

これ以上ないくらいに生々しいキャラクターたち、纏わり着くように絡み合う巧みなストーリー、時にストイック、時にリリカルなロマンティシズム溢れる文体。これだけバランスのとれた快作であれば、再評価の機運が高まるのも当然だろう。これはあくまでも夢物語である。けれども、グッと心と腹に響く夢物語である。

オヤジのロマンがいかに成就するか。

予定調和がこれほどに心地好いものだとは思わなかった。

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