渋井哲也『明日、自殺しませんか』(幻冬舎文庫)

渋井哲也『明日、自殺しませんか』(幻冬舎文庫)渋井哲也『明日、自殺しませんか 男女七人ネット心中』を読んだ。

書名はイマイチなれど、到って真面目なルポルタージュである。自殺とインターネットを軸に、取材サンプルは幅広い。その分散漫で食い足りない印象もあるけれど、過剰に物語化しない姿勢は好感が持てる。中でも、1章を割いたマリアの死の顛末は、さすがに読み応えがあった。

話題としては今更かもしれない。ネット心中という言葉自体、めっきり聞かなくなった。けれども、似たような事件がなくなったわけではない。2006年にもいわゆるVIPPER4人がワンボックスカーで練炭を燃やして死んでいるし、今年2月にも京都で男女4人が同様の手口で死んでいる。

もう、ネット界隈では車で練炭というのが自殺のスタンダードになっているのだろう。

本書中にも触れられているけれど、端緒は2003年2月に埼玉で発生した集団自殺である。このときは車ではなく、アパートで男女3人の死体が見付かっている。その周到な手口が話題となり、以降、ネットを通じた集団自殺が2003年内だけで12件、計30人が死亡している。

その後、警視庁で記録された数字だけでいえば、2004年に19件55人、2005年には34件で91人のネット系集団自殺が確認されている。驚くほどではないけれど、着実に増えている。要するに、マスコミが騒ぐのは目新しいからで、話題性がなくなればおとなしくなるということだろう。

こうした自殺が話題になるとインターネットの功罪をいう人がある。もちろん、まるで無関係だとはいわない。けれども、自殺系サイトや掲示板がまるで自殺者数を底上げしているかのような口ぶりには辟易する。年間3万分の何人がネットを契機にして死んでいるというのだろうか。

はたまた、その人たちはネットがなければ死ななかったなどといえるのだろうか。

年間の自殺者が目に見えて増えたのは1998年のことである。前年の24,391人から、いきなり32,863人に急増している。以来、目立った増加傾向はない。年齢でいえば40歳以上が7割以上を占め、男女比では圧倒的に男が死んでいる。

要は、経済苦、健康苦辺りの実際的な要因の方がはるかに深刻なのである。それを踏まえて、きっかけとしてのネット自殺を警戒するのは構わないけれど、不用意に騒ぎ立てて連鎖を呼ぶようでは本末転倒も甚だしい。ネットの功罪などは所詮胡乱な議論である。

第1章で語られるのは、まだそれなりに話題性のあった2004年10月の集団自殺事件である。男女合わせて7人というのはこの手の集団自殺事件としては最多でもあった。また、自殺者の中のひとりが、昔T-BOLANの森友嵐士と極秘結婚していたことでも局所的に話題になった。

著者はその彼女と知り合いで、事前に自殺の意思を知らされていた。死ぬ前に実際に会ってもいる。取材する側とされる側。そんな関係性が、互いのコミュニケーションにどんな影響を及ぼしたのか、ぼくには想像もつかない。ただ、止められなかった現実だけが淡々と語られている。

構成や表現が拙いせいで、伝わり難い面があることは否めない。それでも、著者の痛切なる悔恨の想い、如何ともしがたい慙愧の念は、センチメンタルに逃げない真摯な筆致からひしひしと伝わってくる。それはいっそナイーブといってもいい。

そのナイーブさは、本書に取り上げられたような「生きづらさ」を抱える人全般に通じる感性なのかもしれない。これを弱いと切り捨てるのは簡単だ。けれども、弱い者は死んでもいいという理屈はない。肩入れするくらいの庇護者も必要だろう。

ところで、マリアという人のプロファイルは、断片だけを拾い集めると驚くくらいにステレオタイプである。実父からの性的虐待、解離性同一性障害、鬱、自殺願望。どこかで聞いたような分かりやすい物語が見える。その意味では、旧タイプの「生きづらさ」の持ち主といえるだろう。

おそらくは一緒に死んだ7人の中でも異色だったのではないだろうか。

個人の資質や「生きづらさ」の要因の別に関わらず、インターネットがただ死に向かうという一点において人と人とを結びつける。その心性はどうにも量りがたい。思えばネット心中という言葉もそぐわない。集まった自殺志願者たちに精神的な繋がりなどはどこにもない。

ただ、目的だけが一致している。互いが互いの自殺のための道具なのである。おぞましいほどに虚しい。そんな最期を望まなければならない生とはどんなものだったんだろうか。情死でも無理心中でもない。集団ではあっても、内面的には完全に孤独な死である。

それにしても、読み終えてなお分からないことばかりだ。けれども、これは安直な一般化や物語化をせず、取材対象をそのまま個として扱う傾向が強いことの表れでもある。宮台の系譜らしき「生きづらさ」というラベリングの是非はおいても、ルポとしては到って誠実な態度だろう。

決して巧くはないけれど、色々と考えさせられる本だった。


【関連リンク】
著者のブログ“てっちゃん@jugem”

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