藤崎慎吾『レフト・アローン』(ハヤカワ文庫)

藤崎慎吾『レフト・アローン』(ハヤカワ文庫)藤崎慎吾『レフト・アローン』を読んだ。

ハードSFなんていわれると、元々あまりSFが得意じゃなかったぼくなどは少しばかり尻込みしてしまう。そもそもハードSFというのがどういうSFを指すのかもよく分からない。とにかく科学考証原理主義的なスタイルを連想する。テクニカルタームだらけでチンプンカンプン。そんなイメージだ。

この本についてもハードSFの傑作短篇集といった評があったりして、正直少し身構えていた。ところが蓋を開けてみると、収録の5篇はどれも読み易いし、一見硬質ながら、とてもセンシティブな情感に満ちている。同じSFといっても、それぞれにまったく違った趣向になっているのも楽しい。

素材はどれもあり得べき未来の人間たちの姿である。ロジカルな想像の先にあるのは、多分にファンタジックな世界だ。それが荒唐無稽に見えない。小難しい理屈で煙に巻くのではない。それほどテクニカルな言葉を多用していないにも関わらず、ちゃんとあり得そうな世界に仕上がっている。

この著者の本は初めて読んだ。だから、一部、他の長篇とリンクした作品についても、ただ独立した短篇として読んだ。それでも、食い足りない印象はまったくない。むしろ、短いストーリーの向こうに、広大なイマジネーションの地平が広がっているように感じた。性に合っていたのだろう。

収録された作品群にこれといった繋がりはない。ただ「知覚」に対する興味が強いような印象はある。例えば、感覚情報を機械的に変換したり、猫の視覚をコンピュータに転送したり、人工知能が人体に憑依したり、人間同士が共有意識で繋がっていたり、時空を越えた記憶を感得したりする。

知覚というのは、世界を感じる唯一の方法だ。

つまり、どんな知覚を持っているかが世界を規定し、ひいては自らの存在自体を規定することになる。地球人類に目という感覚器官がなかったら、ぼくたちの世界に月はなかっただろうし、宇宙に思いを馳せることも、空飛ぶ機械を作ることも、青い地球に感動することもなかっただろう。

世界は今とはまるで違っていたはずだ。

たとえば、著者がある環境に最適化された未来の知性体を描くとき、彼らは同時にその特質によって生き方を規定されている。人々はその現実にさしたる疑問も持たず「当たり前」を生きている。けれども、物語の登場人物たちはそこに世界の裂け目を見出す。「当たり前」の外側を発見する。

この短篇集の醍醐味は、たぶんその辺りにある。乱暴にいえば、新しい世界を手に入れる物語である。それは、どうしようもなく世界に規定されてしまった自己からの開放であったり、新しい知覚を得て拓く未知の世界への扉であったりする。けれども、そこには大きな代償がついてまわる。

孤独である。

ここに著者独特のセンチメンタリズムを感じる。もちろん、すべての収録作品が同じような感傷に彩られているという意味ではない。自由とともに孤独を得る物語もあれば、新しい繋がりを予感させる物語もある。大仰ではないけれど、じんわりと心に残る。そういう種類の話だ。

また折をみて読み返したい。そんな風に思える本だった。


【Amazonリンク】
藤崎慎吾『レフト・アローン』(ハヤカワ文庫)
藤崎慎吾『クリスタルサイレンス〈上〉』(ハヤカワ文庫)
藤崎慎吾『クリスタルサイレンス〈下〉』(ハヤカワ文庫)
藤崎慎吾『ハイドゥナン (上)』(早川書房)
藤崎慎吾『ハイドゥナン (下)』(早川書房)

related entry - 関連エントリー

trackback - トラックバック

trackback URL > http://lylyco.com/cgi/mt/mt-tb.cgi/146

comment - コメント

りりこさん、お久しぶりです。
最近この本を読みました♪

孤独なイメージがする作品が多いなと思いました。
未来を感じさせるものも有りましたが。。
藤崎さんの長編は読んでいないのすが関連の短編も
すんなり読めました。

ユキノさん、いらっしゃいませ。
ぼくがこの本を手に取った直接的な理由は、カバーデザインがもの凄く好みだったことと、書名を見てジャッキー・マクリーンのアルトが脳裏に蘇ったためでした。哀愁という言葉がこれほど似合うジャズナンバーはありません。そして、その泣きのアルトとSFは何故か不思議と合うような気がしたのです。
そんなたぶんに感覚的な理由で選んでも当たるときは当たる。そういうものですよね。この本の中で語られる孤独を、ぼくは案外に気に入っているわけです。

コメントを投稿

エントリー検索