畠中恵『ねこのばば』(新潮文庫)

畠中恵『ねこのばば』(新潮文庫)畠中恵『ねこのばば』を読んだ。

これはもう、時代モノのなりをした現代モノである。いや、時代考証が不味いとか携帯電話が出てくるとか、そういうことではまったくない。ただ、描かれるのが極めて今風の犯罪なのである。そのせいか、これまでのシリーズでは最もミステリ色が強い作品になっている。

この作品は人気シリーズ『しゃばけ』『ぬしさまへ』に続く第3弾である。これまでの2作は主人公にして甚く病弱な若旦那、太郎を巡る思うに任せない人生の悲哀こそが物語の根っこだった。ところが、今回は彼が自己を見詰めるよりは、幾分外に向いた話になっている。

ミステリ色が強いというのは、太郎がいつにもまして探偵らしいということでもある。従来風なのは最後の1篇くらいだろうか。お陰で太郎の将来や家や家族についての掘り下げがあまり見られなかったのは、シリーズファンとしては少々食い足りない気がしないでもない。

ただし、その分視野が広く取られていて、収録の5篇にそれぞれの面白さがある。冒頭の「茶巾たまご」など、推理ものとしては少々牽強付会な印象もあるけれど、全体としては多彩なミステリ的趣向が鏤められていて、シリーズファンならずとも楽しめる内容になっている。

たとえば、他とは少し雰囲気の違う「産土」などは、ミステリ好きならお馴染みの仕掛けにニヤリとするだろうし、そうじゃないシリーズファンには思わずヒヤリとする内容になっている。唯一純粋にファン向けなのは最後の「たまやたまや」くらいだろう。

また、最初に書いたとおり、いくつかの短篇で起こる犯罪は、明らかに現代的な犯罪のカリカチュアとして描かれている。表現として矛盾しているようだけれど、これが実にアクチュアルな時代モノなのである。当たり前が通用しなくなった時代の犯罪といってもいい。

中でも特徴的なのは動機を巡る描写だ。

価値観の多様化が喧伝されるようになってもうずいぶんになる。その帰結として、ぼくたちはついに他人と本当の意味で何かを分かり合うことなどできないことを知ってしまった。それは犯罪を扱う小説では動機を描く困難を意味している。

どんなに突飛な動機でも、そういう人もいるだろうね、で済まされてしまう。そんな世界で納得のいく動機を捻出しようと頑張るくらい馬鹿馬鹿しいことはない。いまや、動機に焦点を当てることは、即ち、ディスコミュニケーションを描くことなのである。

これは時代モノではあまり見かけないアプローチだと思う。

そもそもこのシリーズは、キャラクターにだけ注目すれば、最初から至極現代的な性格付けがなされていた。その現代的要素がますます強くなったのがこの3作目なのである。そのせいで、時代特有の事物の描写を除けば、読んでいてほとんど時代モノを意識することはない。

推理小説はあんまりだとか、時代モノは大の苦手だとかいう人でも、問題なくすんなり読める作品だと思う。前2作で前面に出ていた主人公周辺の少々心に重い諸問題も、今回はかなり後景に引いている。その点でも、初めての人に優しい作りといえるだろう。

いずれ読者を選ばない良作である。

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