山本弘『神は沈黙せず』[全2巻](角川文庫)

神は沈黙せず山本弘『神は沈黙せず』を読んだ。

饒舌な作品だ。それは美点でもあり欠点でもある。実は、ぼくはこの著者のことをまったく知らなかった。だから、何の予備知識もなく読んだのだけれど、知っている人はその饒舌の源泉を直ちに理解するに違いない。彼は“と学会”の会長として知られた人物だったのである。

いわゆる超常系やトンデモ寄りな学説のデータベース的な記述がとにかく多い。それも衒学的というのではない。ただただ論証のためのデータとして列記されているような印象である。これはもう興味のない人には苦痛以外の何ものでもないに違いない。とにかく膨大な情報量だ。

そして、論証の矛先は「神」である。

その存在と意図を、圧倒的な量の傍証を縒り合わせることで解き明かそうというのである。とてもスリリングな試みだ。“マトリックス”的世界の想像など新しくはないし、量子コンピュータによるシュミレーションという発想も珍しくはない。そうした外側の驚きを主眼とした作品ではないのである。

物語に緻密なディテールがあり、ダイナミズムも申し分ない。惜しむらくはそれに表現力がついてきていない。キャラクターはえらくステレオタイプだし、形容表現は相当に陳腐だ。これほど面白いのに文章に酔えないというのは実にもったいない。唯一の欠点だろう。

けれども、その欠点がこの作品に限っては致命傷とならない。

その無邪気ともいえる素朴さは、物語自体の真摯な姿勢とうまく結びついている。視点人物となるジャーナリストに顕著な青臭い潔癖さや生真面目さが、このテーマにおいて必要不可欠だったのだとすれば、この不器用な筆致は必ずしもマイナスに働いてはいないのである。

物語は中盤以降、カルトとの対立といった構図を見せる。喩えるなら、平井和正『幻魔大戦』における‘GENKEN’設立以降の東丈を仮想敵に置いたような展開である。決して幻魔のような異様な熱気や狂想をイメージさせるという意味ではない。方法論としては180度違っている。

これは熱狂の外にある理性をストレートに描く作品だからである。

秀逸なのは、その理性が理性を打ち壊すような結論に到る皮肉である。それは理性が幸福を担保しないといっているに等しい。著者は「人は自分が信じたいものしか信じない」という身も蓋もない真理を最後までひっくり返すことをしないのである。これ自体がテーマといってもいいかもしれない。

固定観念を攻撃する意図で書かれた様々な批判は、正直にいえば思慮が浅いといわざるを得ない。この辺りはもう少し編集部のバックアップがあってもよかったんじゃないかとも思う。けれども、こうした瑕瑾を論っても意味はない。もっといえば、神の考察を外れる部分はオマケである。

面白い作品が必ずしも「良くできた」作品である必要はない。

こういう小説を読むと改めて思う。

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