ケン・グリムウッド『リプレイ』(新潮文庫)

ケン・グリムウッド『リプレイ』(新潮文庫)ケン・グリムウッド『リプレイ』を読んだ。

広く定評のあるSFを読んでみて思うのは、ジャンル小説としての自由さである。先端のハードSFみたいなものを想像するとつい尻込みしたくなるけれど、こうした息の長い人気作は意外なほどにジャンル小説的じゃない。取っ付きやすいし読みやすい。

こうした豊潤な作品には、面白さの種が贅沢に蒔かれている。それは沢山の人が様々な観点でこの作品を愛せるということでもある。プロットの緻密さや人物造形の巧みさに惹かれる人もいれば、思いも寄らないダイナミックな展開や深いテーマ性に惹かれる人もいるだろう。

この作品はタイトル通り時間を繰り返す話だ。といっても、時間についてのSF的な講釈はほとんど打たれない。平行宇宙みたいなものも出てこないし、ややこしい宇宙論に発展したりもしない。また、SF的ガジェットを綿密に描くようなタイプの作品でもない。

つまり、SFは前提ではあるけれど、目的ではないのである。

「やり直し」というテーマはいかにも普遍的だ。誰もが沢山の「もしも」を抱えて生きている。もしあの頃に戻ってすべてをやり直せるなら、とはよく聞く話である。近年の個人的なお気に入りでいえば、映画『バタフライ・エフェクト』がまさしく同テーマの作品だった。

つまり、それだけ新味に欠けるテーマなのだ。ここに著者はひとつの条件を課すことで、深刻なテーマを浮き彫りにすることに成功している。それは、最初のやり直しのラストに明らかになる。そのショッキングな事実に主人公は極めて哲学的な問いに直面することになる。

乱暴にいえば「生きる意味」というあまりに普遍的な問いを、リプレイというSF的設定を利用することで主人公に、ひいては読者に突き付けてくるのである。主人公は度重なるリプレイの中で、様々な人生を生き、その答えを模索する。

ここに著者はさらに過酷な条件を準備している。

そもそもが意のままにならないリプレイである。そこに判明する新しい事実は、ようやく繰り返しの現実を受け入れかけた主人公にさらなる追い討ちをかける。このリプレイの法則によって、無限にあったはずの選択可能性がどんどん失われていくのである。

それはたぶん、ぼくたちの日常では老いの問題に近い。もう、自分の人生を変えることもできないのに、何のために生き続けなければならないのか。何を拠り所に最後の時を迎えればいいのか。これまでの自分のあらゆる選択に意味はあったのか。

そうした問いを飲み込んで、物語は終わり、また繰り返される。

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こんばんは。
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> 藍色さん
わざわざご報告どうもです。
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