吉村萬壱『ハリガネムシ』(文春文庫)

吉村萬壱『ハリガネムシ』(文春文庫)吉村萬壱『ハリガネムシ』を読んだ。

なんて不快な小説だろう。

と、大抵の人が思うだろうし、ぼくも思った。厭わしいならまだいい。破って捨てれば済む。ところが一度開いたが最後、もうページから目を話すことはできない。それは、この本の主人公が自分の糞から目が離せなくなるのに似ている。

確かにこの本は中途半端で不恰好な性や暴力に溢れている。けれどもそれ以上に、あまりに救いのない主人公のありように心が腐れる。これはそんな小説である。そして、芥川賞を獲っていることが不思議ではない程度に純文学的な作品でもある。

ちなみにぼくが思う純文学のイメージは偏っている。

安易なカタルシスを認めない。比喩的であって説明的でない。私小説的だ。普通に面白くはない。現代社会に一石を投じない。でも、なんだか気になる。そして、文章だけは妙に巧い。要するに、分かり難さや据わりの悪さを愉しむものと思っている。

だから、この本に性と暴力が愛に昇華していくような心地好い展開はあり得ないし、蟷螂に寄生するハリガネムシと主人公が腹に飼っている欲望の対比は消化不良気味だ。現代人の複雑な倫理観や、病んでいるらしい社会への処方箋としても機能しない。

そこにはただ、自分の腸を開いて体内の汚物を仔細に観察するような、変質的なまでの真摯さがあるばかりである。何をそんなにしてまで、面白くも珍しくもない自分の腹を探らねばならないのか。その倒錯した気持ち良さこそがこの本の真骨頂なのである。

当然のように出てくる人出てくる人が気持ち悪い。それはまるで主人公の閉塞が作り出してしまったかのような世界である。銭湯で赤黒い血尿を搾り出す貧相でマゾのオッサンや、歯を剥き出してもほもほ笑う娼婦サチコなどまさに出色である。

けれども、一番の嫌悪は主人公の平々凡々たる半端さに向けられることになるだろう。閉塞を打ち壊すかに見える凶暴な衝動さえ、性愛に溺れることも、暴力に突き抜けることも、愛に目覚めることもできない程度の不発弾に過ぎない。

もしも主人公がサチコをサディスティックな性愛行為の末に嬲り殺し、妄想相手でしかない同僚の女教師を犯し、凄惨なイジメをゲーム感覚で繰り返す学生たちを皆殺しにでもすれば、立派な負のエンターテイメントになっただろう。

そうならないところがつまり純文学なんだと思う。

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comment - コメント

TBありがとうございました。
カマキリのハリガネムシと主人公の欲望との対比はあまり意味がないのか。オジサン族としては主人公の心理に共感も反感も覚えない不感症なので実際ハリガネムシを観たときの得体の知れない強烈なインパクトそのままが主人公の腹の奥なんだとその印象が強かったのです。

よっちゃんさん、コメントありがとうございます。
ハリガネムシが出てくるくだりは確かに強烈で、比喩としても面白いと思いました。それで、主人公の腹の中の欲望が最後には本人を食らい尽くすほどに成長するんだなと思いながら読んでいたわけです。ところが、どうにも理性やら良識の箍が外れ切らない。それで、消化不良だなぁと思ったわけです。まあ、最初からそういう煮え切らない主人公で、最後までそれは変わらなかったというだけのことなわけですが…。

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