若合春侑『腦病院へまゐります。』(文春文庫)

若合春侑『腦病院へまゐります。』(文春文庫)若合春侑『腦病院へまゐります。』を読んだ。

これは強烈だ。

そもそもが陰鬱淫靡な表題に惹かれて選んだ本である。多少のことでは驚かないつもりだった。それがどうだ。自分の内臓に頭を突っ込んだようなこのネットリとした不快感はいったい何だ。読んでいるだけで周りの空気がどろりとその性質を変えてしまう。恐ろしい。しかも、ひと度その不快の泥沼に足をとられると、もう後戻りはできないのだ。

アブノーマルを描くこと自体は容易い。今はそういう時代だと思う。だからもう、ありふれたアブノーマルに何かを訴える力なんてない。SMもスカトロもインプラントもタトゥーもスプリット・タンも、空虚な体を舞台に描かれるそれらに本当の共感や嫌悪などありはしない。

若合春侑が描くアブノーマルはそんな空虚さとは無縁だ。血肉と情念がみっしりと詰まっている。軽い気持ちで読んだりすれば、毒気に中てられ青褪めること必至である。といって、逃げ腰になることはない。こういうものを読んでヌルヌルと厭な汗をかく。そんな気持ち悪い愉しみに身を任せてみるのも悪くはない。それこそ強烈な文学体験というものだ。

特に表題作の旧字によるへばりつくような文面は、その内容と相俟ってしつこく頭にまとわりついてくる。併録の「カタカナ三十九字の遺書」は普通の文面なのだから、これは完全に著者の仕掛けということになる。空恐ろしいデビュー作である。

大正、昭和を舞台に繰り広げられる情痴と情念の物語は、読む者を穴倉の底に誘い込んだままその口を閉じてしまう。そこはただただ真っ暗なばかりだ。けれども、分かっていてもまた覗かずにはいられないのが人間というものだろう。うんこを食わされ乳首を焼かれてもその人に逢いたいと願う人妻のように。

ここまでくれば、滑稽、滑稽。

こんなものを書ける作家はそういない。

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