J.G.バラード『コカイン・ナイト』(新潮文庫)

J.G.バラード『コカイン・ナイト』(新潮文庫)J.G.バラード『コカイン・ナイト』を読んだ。

著者はかなり著名なイギリスの作家だ。とはいっても、ぼく自身はこれまでその著作を読んだことはない。海外文学には二の足を踏む性質なのだ。だから、ぼくにとっては初バラード作品である。

これがまた恐ろしく端正な傑作だった。

表面上ミステリの形式をとっているので、まず娯楽作品としてとても読みやすい。にも拘らず、そこに描かれる現代社会のどん詰まりの姿は、ただのフィクションとして看過できない強烈なメッセージを放っている。

現代社会について語るとき「病理」という言葉がついて回るようになって久しい。成熟した社会はただ生きるために生きることを難しくする。そこに「意味」を求め始めるからだ。これこそが不幸の始まりなのかもしれない。そこで著者は、労働と余暇によって成り立つ成熟社会の先端に、労働すら不要となった「余暇社会」を描き出してみせる。

ダラダラと寝て食って糞をする。それ以外は何もせずとも老いて死ぬまで生きることができる。そんな環境下で、人は果たして充実した生を送ることができるのか。

実験は始まっている。

しなければならないことが何ひとつない。すること全てに意味がない。ただただ死ぬまで暇を潰し続けるだけ。これは辛い。とんだ楽園である。人々は精神科医から処方された薬で半ば朦朧としながら、衛星アンテナが受信する映像を見るともなく見、一日ソファやベッドの上に寝転がって過ごす。殆ど死んでいるのと変わらない。

そんな墓場同然の余暇社会をたった一人で変えてしまった男がいる。彼は街に活気を取り戻し、朦朧となった心に命を吹き込む。その方法こそが、この小説のキモとなる。病理に打ち勝つための病理。たったひとつの処方箋。

最初に提出される放火殺人の謎と、最後に主人公が選ぶ道。それらが綺麗な円環をなし、ひとつに重なる構造はみごとという他ない。そして、処方箋は引き継がれていく。

確かにこの薬は毒と呼ばれるものかもしれない。

けれども、この処方に異を唱えるのは難しい。

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