本田透『電波男』(三才ブックス)

本田透『電波男』(三才ブックス)本田透『電波男』を読んだ。

正直これほどのものとは思わなかった。

ネット上で議論が炸裂し倒しているのも頷ける。これはかなりハイレベルなエンターテイメント大作だ。えらくネット寄りな文体や、オタクにありがちな引用過多も、その面白さに水を差すどころか棹差す勢いだ。そして、どのページのどの言葉を切り取っても侃々諤々自己主張バトルのネタにもってこいという、古今稀に見る超高密度地雷原なのだ。

今更その枝葉についてどうこういうつもりはない。その辺りの濃い議論なら検索一発で腹を下すくらい読むことができる。なのでここではあっさりスルーして、全体的な感想だけを書くに止める。

この本の根幹をなす「萌えで幸せになろう」というアイデアは、何も目新しい考え方ではない。作中にも引用されている養老孟司『唯脳論』や岸田秀『ものぐさ精神分析』辺りを読んでいれば、なるほどそっちにもってくか、くらいの軽い気持ちで受け入れられるものだ。

著者のいう「恋愛資本主義」にしてもそうだ。恋愛や結婚が男女(または同姓)間において何某かの「価値」を媒介に成立する契約関係であり、より良い契約を結ぶ(パートナーを手に入れる)ためには相応の投資が必要だというようなことは、何も最近になっていわれ始めたことじゃない。面白いのはその仮想敵に超大手広告代理店「電通」を据えたことくらいだろう。

それじゃあ、何が問題なのか。

そこにおさまり切らないルサンチマン(怨念)の発動…これに尽きる。著者は半ば意図的に行き過ぎた発言をしている節がある。たとえそのために論理的弱点をさらけ出したとしても、それがあるからこそ歪だけれど心を掻き乱す強い力がそこには宿っている。同時に、この本が(特に「負け犬」と呼ばれる)女性の反感を買う所以でもあろう。

ただ、その行き過ぎたルサンチマンはこの本のスパイスであって決してメインではない。「非モテのキモオタ」や「負け犬」といった立ち位置で、溜飲を下げたりムカついたりしながら読むのもいいけれど、それだけで消費してしまうにはあまりにもったいない。何故なら、著者は今時本気で「愛」を語ろうとしているからだ。それも「電車男」、「いま会い」、「セカチュー」といったブームの尻馬にのった気持ちのいい純愛の話ではない。人間なら誰もが一度は願うであろう切実で根源的な「愛」についてだ。

それこそが著者最大の地雷なのである。

本文は徹頭徹尾エンタメ路線を崩さない。ニュートラルな立場で読みさえすれば最後まで存分に楽しめる内容といっていい。けれども。

著者最大の地雷は「あとがき」で炸裂する。

ここで「ドン引き」するか涙するかでこの本の印象は180度違ったものになると思う。そこでは、迸るエンタメ・パワーの源流が語られる。当然、極々個人的な話だ。ぼくは敢えてこれを書いた著者の本気を信じたいと思う。ここだけはエンタメにできなかった著者の叫びは、ただの露悪趣味や同情を得るためのポーズなんかじゃない。

ぼくはこの本の本当の価値は、新しい価値観や思想の啓蒙にあるのではないと思っている。だから「女性にこそ読んで欲しい」という煽りなどは2次的なものだと捉えている。というのも、この本はやっぱり「オタク」を救う可能性があると考えるからだ。こと、彼らの暴力衝動を、だ。

『電波男』はオタクの鬼畜化抑止の真に正しい処方箋なのである。

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