松本仁一『カラシニコフ』(朝日新聞社)

松本仁一『カラシニコフ』(朝日新聞社)松本仁一『カラシニコフ』を読んだ。

朝日新聞の連載記事を書籍化したルポルタージュだ。と書いた途端拒否反応を示す人がいるかもしれない。もし「朝日」に反応したのなら、とりあえず、掲載媒体については忘れて欲しい。

予想以上の良本。一読の価値はあると思う。

カラシニコフ。もちろん人の名前だ。そして、「1947年式カラシニコフ自動小銃(通称AK47)」とその亜種を指す言葉でもある。

AK銃を中心に据えて見たアフリカ各国の現状。これを読むと、人間は根本的なところでダメなんじゃないかと思ってしまう。虐げられ貧困に喘ぐ人々が武力決起し、新政府を樹立する。そして、新政府は利権を独占し、共に苦しんだ同朋を救いはしない。虐げる側に回るだけだ。

著者は国家の要を「治安」と「教育」に求める。

治安というのは結局のところ武力の管理のことだ。冷戦時の政治的思惑から大量にアフリカに流れ込んだAKは、管理とは程遠い状態にあるという。そして、貧困と闘争のスパイラルが銃の回収を妨げる。
教育というのは未来の国力を培うことだ。教育がなければ国際社会で生きていくすべを知る国民は育たない。国際社会に参加し外貨を稼げなければ、経済が支配する今の世の中で国家として栄えることはない。貧困は続く。

さらに厄介なことに正義さえ必ずしも幸福を生まない。

たとえばカースト制。少なくともぼくは、これをかなり否定的なニュアンスで教わった記憶がある。すぐにでも撤廃すべき身分差別として。確かに差別なんて忌むべき習慣だろう。それは間違いない。そして、いまや正義は行われた。けれども、結果は閉じ込められていた貧困が国中に溢れ出し、犯罪と混乱が噴出しただけだった。

無策は罪と知れということか。

現実は思うに任せない。その事実を淡々と見せ付けられる。けれども、全く希望がないわけではない。民間の意思と力で銃の制圧と管理を成功させた人たちがいる。さまざまな幸運が手伝っての成功かもしれない。まだまだ最初の一歩を踏み出したばかりとも言える。けれども、吟味すべき例であることは間違いないだろう。

この本を読むと、とにかく考え込んでしまうような現実を、次から次へと思い知らされることになる。AKの功罪とともに、設計者ミハイル・カラシニコフとの会見の様子が書かれるなど、視線が比較的フェアなところにも好感が持てる。

加害者は誰で被害者は誰なのか。もちろん明確な答えなどない。けれども、たまには答えがないことを真剣に考えてみることも大事かもしれない。

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